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小麦アレルギーだけど夫婦で世界一周旅中。PC閲覧推奨。

【帰国】ダルエスサラムから成田まで


外出自粛要請を受けて引きこもり中です。
Airbnbで借りた部屋からは東京スカイツリーが小さく見えています。
偶然にも角部屋だったので窓が多く、明るく風通しがよくて快適。


さて実際の帰国について。
私たちは韓国政府の臨時便(ダルエスサラム→ドーハ→仁川)に乗せてもらう形での帰国となりました。
ドーハまでの便が上記の臨時便、ドーハ→成田は商業便、ということです。
まさかのこんな機会でカタール航空初搭乗となりました。



チャーター便に乗るまでの経緯

パジェでのんびりしていた私たち。(在タンザニア日本大使館には滞在中の旨を連絡済)
4月18日にはエチオピア航空の無期限運休前最後の成田行の便が出てしまいました。
(3月末にはオマーン航空やカタール航空が運休に入っていました)
この前後でタンザニアの感染者数のは激増。
毎日数十人単位での新規感染者が確認され、総感染者数はあっという間に200人超え。
これは帰国の目処が全然立たないな。。という状態でした。
パジェ含まれるエリアでも数人の感染者はいたようです。
現地の方相変わらずのんびりした雰囲気でしたが。


チャーター便が出るかも、と連絡をいただいたのは4月30日でした。
すでに19日ごろから調整中と連絡をいただいていましたが、
これについては滞在日本人が搭乗する余裕がなかったりタンザニア政府が直前まで空港利用許可を出さなかったりと色々問題はあったようです。。

手配したチャーター便は5月7日で調整中とのこと。
悩みましたがこのご連絡をいただいて帰国を決めました。
ビジネスや就学などで生活拠点をタンザニアにもつ方は多くが残留したようですが、
私たちはただの旅行者なので長期滞在はビザの期限もあるし、
そもそも全く移動をせず生活を続けるのがある意味しんどいというのもありました。
都会に行けば毎日の新鮮さはあったでしょうがそれは感染の危険が高く、
パジェのような田舎では手に入るのは決まった食材だけの変わりのない生活。
せめて雨季でなかったら毎日海で遊んで満足したかもしれませんが。。

チケットの購入はダルエスサラムにあるカタール航空のオフィスに行く必要があります。
それ感染の危険やな、、と思いましたがしょうがない。
4日に支払い・発券ということで前日の3日にパジェから移動をしました。
久しぶりのストーンタウンとダルエスサラムはマスクをする人が大半で新型コロナウイルスの感染拡大を感じました。
まぁタクシーとかフェリーチケット購入の勧誘はしつこかったのでみな元気そうですが。笑



チケット購入

4日にダルエスサラムにあるカタール航空のオフィスに向かった私たち。
オフィス入り口のサニタイザーで消毒し椅子に座って待ちます。
朝10時の時点でオフィスにいたのは数人。
ヨーロピアンと思われる人は3人、タンザニア?の方が1人、インド系が2人、そして私たち。

まさかのオフィスに入って数分。

(偉い人)まだ処理出来ないから大使館の連絡があるまで待っといて!

(全員)へぇ?( ^ω^ )

何時間後に始められるかわからないから宿で待って。。。
せっかく20分近くかけて歩いてきたのに。。
どうしようもないので宿に帰りました。くそーーー。
何時間もかけて運転してきたので人もいて、その人はオフィスで待ったようです。

その晩(!)に在タンザニア日本大使館から連絡があり、
カタール航空とタンザニア政府との調整があり発券処理に移れないそう。
それせめて当日の朝に連絡して欲しかったです( ^ω^ )
せっかく感染の危険をおかして都会まで出てきたというのに。。

明日(5日)には発券できますかね?と聞くとそれも不明。
出発までには発券できるはずです。。とのこと。\(^o^)/
しょうがない。しょうがない!!
大使館職員の方も調整大変だろうなぁ。。本当にありがとうございます。


結局、発券は6日になりました。 \(^o^)/
12時~とのことだったので時間通りにオフィスに向かう。
建物の前には何人も待っていて、私たちも待ち番号を貰ってビルの前で待ちます。
途中でお腹減って昼ごはん食べに行った。
久しぶりに食べるローカルフードは美味しかった。



通りがかった私たちに「おいで!食べていき!」と朗らかに声がけしてくれました。
うわチナ(意味:中国人)だコロナだ、みたいな雰囲気はなくてほっとした。
今思えばタンザニアは東アフリカの中でもコロナのさ中でも過ごしやすい雰囲気だったなぁ。

昼ごはんを食べて戻ってきてすぐ呼ばれたので待ち時間は1.5時間くらいかな。
オフィス内の写真はありませんが、全員で20人くらいでした。
カウンターの前に等間隔で椅子がおかれ、距離を保てるように工夫されていました。

カウンターでは国籍を聞かれ、搭乗者一覧の中から名前を選んで伝えます。
日本人の一覧はA4の紙1枚、たぶん35人から40人弱だったと思います。
あとは支払い方法(カードか現金)かを聞かれて、支払っておしまい。
ものの15分で終了しました。


支払いは2674ドル。うふふふふふふふ( ^ω^ )
これは自分への誕生日プレゼントだと思うことにしたんだ・・・( ^ω^ )
*当日誕生日。レベル32に進化したぜ!!

普段は格安航空の乗り継ぎで10万弱。
高いです。消して安くない。
パジェならこの1人分の航空券代で半年の宿代です。
でもこうやっていろんな人が尽力して帰国できるんです。
格安航空会社の出現前も20万円後半だったので、チャーター便としては高くないです。
南アフリカからのチャーター便とか40万円やったしな。。泣

ということで無事に支払い・発券が完了。
あとは飛行機に乗ってしまうだけです。



さようならタンザニア

ジュリウス・ニエレレ国際空港へはタクシーで移動しました。
ダルエスサラムはアフリカ三大凶悪都市のひとつで流しのタクシーは強盗にあうとかあわないとか。
なのでUber使いました。
値段交渉もいらないし、どの国でも値段交渉頑張るより安い事のが多い。

出発のターミナル2(発券後変更)に到着、日本大使館の職員さんが待っていました。


名前確認し、水のボトルとマスクをいただきました。
職員の方はマスク以外にフェイスシールドも装着。
このあとチェックイン、搭乗までフルサポートでした。
本当にこの状況でのご支援がありがたいです。どうか体お気をつけて。。

13時にチェックイン開始。
預け入れ荷物の計量が超アナログな体重計みたいな量りでした。まじか。笑




出発は私たちの乗るチャーター便だけ。


空港職員の方はみな気さくで丁寧に対応して下さいました。
「次いつタンザニアくるの?^^」とニコニコ。
また落ち着いたら来たいなぁ。


日本人で集まってイミグレへ移動。
タンザニアでの滞在地を聞かれ、両手の指紋を登録。
搭乗ゲートでは軽食の買えるお店もひとつ空いていました。
さすがに搭乗人数的にゲートのところの密集度は高め。


搭乗はバスで機体の下まで移動。
たぶん分散させて人数いっぱいにならないように調整してはる。





機内は結構な密。うーんこれはしょうがない。
荷物の積み遅れかなんかで45分遅延して出発。




ディスプレイある便なんてひさしぶりでワクワクすっぞ!(LCCばっかり乗ってる人)
映画もたくさんあったけどまさかのイヤホンジャック死んでて見れなかった。笑
せっかくまとまった時間だしずーっとkindleで本呼んでました。めちゃ進む。
ちなみにリクライニングも死んでた。

機内食。


サラダには大麦入ってるしデザートはチョコムースだしでメインのチキンしか食べてない悲しい。
でも見て!ゴディバチョコ!!これ嬉しかった!
搭乗客はビールを頼む人もいて、飛行機の中はまるで通常営業。
食後のコーヒーサービス(*ゴディバもついてる)もあるし軽食(スナック)もあって至れり尽くせり。
クッションやブランケットもあって自分で準備しなくてもよかった。
LCC出てくる前はこんなの当たり前だったねぇ、、たまに乗ると素敵だねぇ。。


ドーハまでは6時間ちょい。23時半に到着。
そこから搭乗客は帰る国によって別々に散っていきました。

空港内は閑散とした様子


なんかでっかい熊?おった


手持ち無沙汰なスーパーカー展示職員


こちらにも熊おったかわいい




1時過ぎの搭乗までは搭乗ゲート近くのスタバでのんびりしてました。
ドーハ→成田便はかなり余裕のある席でした。






3席を1人で使う感じ。
搭乗客をセクション1と2に分けてセクション間は離して座席設定されていました。
私は前方のセクションの最後尾だったみたい。
因みに旦那は後方セクションの最後尾、要は一番後部席でした。

アメニティ配られた。
歯磨きとか靴下、耳栓、リップバームなど。うれしい。





飛行機は予定通り2時過ぎに離陸。
さて寝るかーと思ったら機内食提供の連絡。まじかYO( ^ω^ )眠

その前に入国時に提出する書類が配られました。




記入を終わらした頃に機内食提供。
深夜3時(タンザニア時間)のお食事。美味しくいただきました。

チキン生姜焼きでした
またもやサラダでデザートパン食べられず。アレルギーめんどいな。。

食事が終わる頃には夜明けでした。眠すぎる。


食事トレーやコーヒーのカップを回収してもらって就寝。
3席あるから足を上げて寝られてとても楽だった。
ほんの4時間くらいで目が覚めちゃったけど。
起きてからは映画をみたりまた本を読んだり。


成田到着2時間くらい前にまたまた機内食。

ベジタリアンメニューがトムヤムライスだった
ついに!ヨーグルトとカットフルーツでパン以外食べられた嬉しい

食事中から日本上空に入りました。
鳥取県北側の日本海から新潟県、長野県北部を通ってぐるっと東からまわって千葉県へ。

白根山が見えた。富士山はほんの一瞬シルエットが見えたよ。

上空からみる日本の風景は、何せ整然と区画分けわれた田んぼと畑が凄かった。
どうやってあんなにまっすぐ線を引いたんだ?てくらい、
ピシー!ピシー!!と長方形に区切られててびっくりした。笑

たぶん水をたたえた田んぼが夕日を反射して光っていて、
その田んぼや畑をスーッと横切るように新幹線の線路が引かれていたのも印象的だった。
雲に霞む山々も「あぁ日本だなぁ。。」と思う印象的な風景でした。

帰ってきた。
これでこの旅も一区切り。
再開したいけどもしかしてこれで終わりかもしれない。
感慨深いとはいえまぁ去年9月末に一時帰国してるからなと自分に突っ込みたい

成田には18時少し前に着陸。
ちょっと待てEチケットよりだいぶ早いな!!
Airbnbの予約日とかレンタカーの手配とかちょっと変わってくるんだけど・・



入国について

機内で配られたフォーム2枚は4月3日以降の入国者は必須です。
日本国内の滞在先、移動手段、連絡先などを記入。

飛行機を降りるのにも順番がありました。
まずはタンザニア、南アフリカ、マダガスカルからの帰国者から。
対象者は半分ずつに分けられて、記入したフォームを持って職員との対面問診のエリアへ。
フォームの入力内容の確認をし要請書の確認とサインをします。
要請書の内容は入国した次の日から起算して14日間の行動について。
・外出しない
・公共交通機関を使用しない
・健康状態を毎日チェックすること
・症状が出た場合の行動について
・家族等の身近で14日間を過ごす場合の注意
などです。

滞在先が決まっていない場合は受入れホテル一覧ももらえます。
滞在できるか連絡してみてください、とのこと。
ざっと見たところ一番安いところで1泊1部屋4500円くらいかな。
これらのホテルには成田空港からのバスを利用できるみたいです。

私たちはAirbnbで1部屋を丸借りすること、そこまではレンタカーを使う、というとOK。
青紙を貰って入国審査へ。


ちなみに!!
PCR検査は不要でした。
これはタンザニアが対象国に入っていないのでまぁその通りなんですが、
チャーター便の連絡が来た時に日本でPC検査受けてくださいね、ということだったのでよくわかりません。
ついでに言うとチャーター便に乗る前にPCR検査受けてくださいね、と連絡もあり
これはこれでストーンタウンの病院に電話して確認したりと大変でした。
病院からは当たり前に「症状がないのに検査はできないよ。。」っと言われ、
ですよねー( ^ω^ )と思っていたら結局不要でした。
え、搭乗前は不要ですよ?と後で言われてなんのこっちゃってなった


入国審査自体は自動化されているのでパスポートを読み込んで顔認識して終わり。
海外からの転入用にスタンプをもらって終了。

飛行機を降りてから入国審査まで、通路には何人もの職員の方が立って誘導されていました。
搭乗人数なんてたかが知れているのに。
みなマスクをして、笑顔で「お疲れ様でした」「おかえりなさい」と。
ありがたいやらうれしいやらこそばがゆいやら。
こちらこそこのチャーター便のために準備していただいたことがたくさんあるんだろうなぁと
ありがたい気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいでした。


保安検査を通ってついに日本に帰ってきました。
成田はガラガラ。到着便はわずか2便です。







この時点で19時前。
Eチケットではもう1時間くらい遅い予定だったので、
て言うかそもそもPCR検査受けるかどうかもよくわからんかったので、
Airbnbは翌日9日から押さえてあるし、レンタカーは予約客のみ対応で窓口にスタッフおらず。
どうしよう。。4500円のいちばん安い受入れホテル行くしかない!?となってしまいました。

さて困ったなぁと思っていると同じ便に乗っていたおじさまが私たちの押さえている部屋のすぐ近くにお住まいとのこと。
レンタカーで帰るし乗っていきなさいな、と言ってくださったのでありがたく乗せていただきました。
本当に助かった!ありがとうございました。本当に。
Airbnbはホストの方に連絡したら即行で8日からに変更してくださった。
こちらも助かりました。


21時には部屋に到着。
古いマンションをリノベして貸し出しているみたいです。
キッチンもあるしホテル住まいより快適。ホテルより断然安いしね。









東京スカイツリーが見える。
前に東京に住んだのは新人研修の時。
震災直後で、スカイツリーはまだ建設中だった。
時間なんてあっという間にすぎるんだな。


この晩は疲れもあって買って帰った牛丼を食べてすぐに寝てしまいました。

こんなに肉が薄く柔らかいとは・・・



帰国後の生活について

今日までまだまだ時差ボケしている気がします。
9、10日の朝は4時には目が覚めてしまいます。
今日11日も5時には目が覚めました。
夜は24時くらいに寝てるんだけどね。。さすがに夕方眠たいです。

あと、日本はご飯がやっぱりおいしいね。
お米がなんて甘いんだろう。
卵の黄身の色が濃くて生で食べられる。
野菜は灰汁が少なくて甘み水分が強くてすごくさらりと食べやすい。
選べる食材のバリエーションがあまりに豊富。
タンザニアなんか玉ねぎとじゃがいもとトマトしかねえぞ!!

そして、日本は加工食品がすごく多い。
9日朝食がどうしようもなくコンビニ食だったんだけどすごく味が濃い。
塩が強いんじゃなくて、顆粒だしとか化学調味料の濃さ。
ひさしぶりのせいかすごく強くてびっくりした。
食のバリエーションは少なくとも、海外の食事のが健康かも知れないとは思いました。
まぁこれは滞在エリアによるけど。

あとね、日本に戻って思うのはビニールゴミがすごく多い。
何から何まで個装しているからあっという間にゴミ箱がビニールだらけ。
スーパーで量り売り売りとかしたらいいのにね。
量の調整もしやすくて便利だしね。
でもまぁ日本の商品のきれいさと安全そうに見えるのはピカイチです。



終わりに

日記のメモをベースに思いつくままに書いてみました。
個人的な忘備録なので誰かの参考になるかはさっぱり分からん。

なにはともかく、何度も繰り返しますが、
この帰国に際し尽力いただいた全ての方に感謝いたします。
そして医療関係者のみならず日本を支える全ての人にも感謝してしたりません。
どうかみなさま健康に気をつけてお過ごし下さい。

  1. 2020/05/11(月) 11:29:01|
  2. 日本
  3. | コメント:0

【帰国】新型コロナウイルス感染拡大と私たちの旅

忘れてしまう前に書いてしまおうと思います。
つい先日の政府チャーター便での帰国について。

====================================================

まず、なにより、
この帰国に際し尽力いただいた在タンザニア日本大使館の職員の皆様をはじめ、
全ての関係者の皆様に感謝いたします。
本当にありがとうございました。
そして医療従事者を含め日本の社会を支える全ての皆様にも。
私たちのいまの生活の全てが支えられています。
いつか皆が笑ってこれまで通りの生活が送れることを切に願っております。

====================================================


このポストでは、新型コロナウイルスの感染拡大と、
そのときの私たちの状況や感覚をざっとまとめておきます。


ウイルスが確認され問題になり始めた頃、私たちはアフリカ大陸に入っていました。
2020年1月。エジプト。
ルクソールなどの観光地では中国からと思われる観光客もまだまだたくさんいました。
大丈夫かいな、と思いつつ。

その後、スーダン→エチオピア→ケニア→ウガンダ→ルワンダ→タンザニア、と進むのですが
コロナの影響を初めて感じたのはスーダン入国時でした。
時期は2月に入ったばかりのころ。
アブシンベルからフェリー・トラック(ヒッチハイク)・バスでたどり着いたスーダン国境。
添乗員の指示に従ってバスを降りたところにはイミグレのスタッフが待っていました。
体温を測られ、私と旦那には健康状態の問診票の記入が求められました。
防護服も完璧でないし、問診票は明かに観光客の私たちだけ。
体温を測ったイミグレスタッフ以外にマスクや手袋をしている人はいませんでした。
いま思えば初動は早かったけど万全でなかったと思います。

スーダン国内を進むのはほとんど問題がありませんでした。
現地の人と話す感じ、新型コロナは問題とは認識されていましたが、
中国だけのものだと思っている感じでした。
(いま中国はプロブレムあるもんね!日本人?なら大丈夫だね!てきな)
マスクなどの対策はまったく見られず。


あ、これは問題が大きくなってきたな、と思ったのは首都のハルツーム。
バスで到着した私たちが町を歩いていると「コロナ!」と遠くから叫ばれました。
うーん。
ただ、ハルツームでは「チャイナ!」とも言われるので、
あいつアジア人やわというだけで声をかけられていた感は否めません。
(彼らの大半は悪意でなくフレンドリーさがそういう声かけに繋がっています。)
同時期に旅をしていた日本人ではハルツームから気になったという人が多かったです。


エチオピアに入国したのは2月中旬。
入国にあたり、検温と健康状態に関する問診票への記入が必要でした。
これはアジア人だけでなく全入国者が対象だったようです。
直近14日間に感染が確認された国に滞在しているか確認されました。
詳細はメモし忘れましたが欧州数カ国も対象になっていました。もちろん日本も。
中国人だけでなく日本人でも警戒され始めてました。
ただ、日本人だけど直近2週間はエジプト、スーダンにいたというと問題なし。
イミグレスタッフは特にマスクや手袋の着用なし。

エチオピアも、コロナはアジアの問題でしょという雰囲気。
ただ危機感というか嫌だという気持ちはあるようで、
私たちを見るとそっと離れたりとか、口を服で押さえるような行動が見られ始めました。
でも、中国人じゃないとわかるとじゃぁ大丈夫か~、という感じ。
うーん。


ケニアに入ったのは2月末。
テレビでは連日、ニュースの多くの時間が新型コロナについてでした。
ナイロビでは英語の新聞やニュースを見る機会がたくさんありましたが、
感染予防に手洗いうがいを推奨し、死亡率や年代についての情報もしっかりあった。
このニュースであればそんなに混乱することはないんじゃないか、というくらいしっかり。
事実、ナイロビ滞在中に現地の混乱や不安感は感じませんでした。
相変わらずマスクなどの着用はなし。

この時の私たちはどうだったろう。
新型コロナウイルスの感染はこのまま拡大していくだろうとは思っていましたが、
南アフリカに到着(5月のどこかかな)するまでは大丈夫だろ、とも思っていました。
アフリカの後に予定していたヨーロッパは厳しいかも。どうしようか。という感じ。

でも、アフリカを同じように進む日本人トラベラーの離脱が始まりました。
この頃、ジョージアで日本人の宿泊拒否が発生したりと広いエリアで強く影響が出始めていました。

知人が帰国するという話を聞いてどうしようかな、とは思いました。
ただ日本に帰るという選択肢は正直あまりこの時点では強くありませんでした。
日本に帰るより感染の広まっていないアフリカにいた方がいいしね。
行けるとこまで行こう、止まる判断はまだ先にある、と思いました。
帰国する当人もまだ行けそうですね、という感じでした。
コロナコロナ言われるのが平気か不快かが帰国するか分かれ目だったような印象です。


ウガンダ、ウワンダと旅を続けている間も現地の方の反応は上記の感じが続きます。
感染者数は徐々に増えてきています。
入国時に日本人だけど直近2週間はアフリカ!感染国にはいないよ!というとOK。
町中で「コロナ!」と遠くから叫ばれることは徐々に増えてきました。
あんまり町歩きしたくないなぁ、という気分の時も徐々に増えました。
知人のトラベラーたちがアフリカ旅を中断し帰国しはじめました。
航空券の値段はかなりの値上がりが始まっていました。


そしてタンザニア入国、3月中旬でした。
ルワンダの首都キガリからバスでタンザニアのカハマという地方都市にたどり着きました。
翌々日にモシへ移動。
アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロの麓のわりとツーリスティックな都市です。
ここで、タンザニアでの初めての新型コロナウイルス感染者が確認されました。
私たちにとって滞在国=感染国となった瞬間でした。
感染者はヨーロッパ帰りのタンザニア人。
私たちがまさに滞在中のモシで感染が確認されました。

来たか。と思いました。
正直なところを言うと、思ったより速いぞ、と思いました。
あと2ヶ月くらいは大丈夫だと思っていた。甘かった。
現地在住の日本人たちは、日本よりまだタンザニアの方が安全だね、と言う感じ。
現地ローカルも同じく日本に帰るのは逆に危ないんじゃない?という意見が大半。
英語ができる人は
「健康管理をして過ごせば危険ではない」
「パニックをおこすべきでない」
とちゃんと状況を理解しているようでした。

感染が発表されて町は一変しました。
どの飲食店や商店の前にも手洗い用のタンクが置かれました。
住民はマスクやバンダナなどの布で口を覆うようになりました。
(まぁ防塵マスクとかの無意味な感じのやつが大半でしたが。。)
スーパーではアルコールジェルが販売され、結構売れていたようです。
うむ。初動めちゃ早いな。。。
手洗いの導入が徹底されたのはエボラなどの感染症の経験があるからかもしれないです。


さてどうしようかな。と悩んで決めたのはザンジバル島への移動。
ダルエスサラムという大きな都市への移動を挟むので不安はありましたが、
田舎の人が少ないところに行った方が良いね、という判断をしました。
ちなみにこの時点で帰国も考えました。
ですが滞在国=感染国となった以上は自分が感染を広げる要因になることは避けるべき。
ということで急いで航空券を押さえるようなことはしませんでした。

ただ感染者が出たことでタンザニアでは全ての教育機関が休校へ。
不要不急の移動は避けるよう政府から指示はありましたが、誰も聞いちゃおらん。
モシからダルエスサラムなどの他都市への大移動が始りました。
おかげでバスターミナルは大混雑、バスのチケットはソールドアウトで買えず。
結局電車でダルエスサラムに移動しました。
これはまたブログにもしますが遅延を繰り返し乗客も多いわで大変でした。
乗車中はずっとマスクをしていたけどちょっと不安でした。
乗車時に手のアルコール消毒が行われ、車両間の移動も禁止されました。
乗客のマスク率もかなり高かった。


ザンジバル島の雰囲気はまだのんびりしたものでした。
タンザニア国内ですがザンジバルは独立した自治区意識が強くイミグレがあります。
そこでは検温と健康状態の問診票記入が必要でした。
中国人か?日本をいつ出た?と少し警戒されている感はありましたが。

雨季(4、5月)が近づいているのもありましたが、
それ以上に新型コロナウイルスの感染拡大で観光客が激減しているようでした。
当の住人はマスクとかしてないけどね。
島の入り口にあたるストーンタウンでは、屋台が持ち帰りだけになったりと日々状況は変化していました。


結局私たちが長く滞在したのはパジェという東のビーチ沿いの町でした。
ストーンタウンより人の密集が少ない静かな観光地です。
一年を通して暑い場所、かつリゾート地なのは今回すごく良い環境でした。
窓ガラスも無い(虫除けの網戸だけ)、ドアも壁もない屋根だけの建物が大半。
どこにも密室がなくソーシャルディスタンスも十分に保てる環境でした。

徐々に航空会社の路線停止や南アフリカなどの他国のロックダウンが進む中、
ただ毎日ひたすら海で遊んだり、宿の犬猫と遊んだり、自炊して生活をしました。
到着直後に数人いたヨーロピアンたちはすぐに帰国していきました。
航空機のキャンセルや劇的な値上がりなどが彼らの話題の中心でした。


この時点で私たちも世界一周旅の中断なり終了を決めていました。
こりゃぁどうしようもないわ。と。
ただ日本では感染者が劇的に増え、緊急事態宣言がでるかどうか、という状態でもあったので
急ぎ大金を払ってキャンセルするか分からない飛行機をおさえることはしませんでした。
帰国指示の出たJICAスタッフや駐在日本人の情報を見る限り、
普段より回数の多いトランジットで2日がかりで帰るような人も多い。
航空会社や飛行機の路線もかなり混乱してたんですね。

・もしかして状況が好転して値段の高騰が落ち着くかもしれない。
・また大都市のダルエスサラムへ行って、密閉空間の飛行機に乗る方がリスキーでは?
・それでもし感染して家族にうつしてしまうことなんて出来ない。
こういう理由でビザの延長も検討しつつ様子見を決めました。

家族にはこの少し前からも心配の連絡が入っていました。
帰っておいでという友人もたくさんいました。
ただ帰国することのリスクをとることはできなかった。
もう「高齢者」に含まれる親や、高齢の義祖母を危険にさらすことはできません。


結果、パジェには1ヶ月半に渡る滞在となりました。
毎日「あぁ旅も終わるんだなあ」「最後のゆっくりする機会かなぁ」と思い過ごしました。
もう1年4ヶ月も旅をして満足感はそれなりにあるし、
旅をしていて挑戦したくなったたくさんのことがあるので、
このあと日本帰ったらゆっくりと日常に戻っていくんだろうか、とぼんやり考えていました。
一方でまだやめたくない、行きたいところがあるのに、という気持ちは大きかった。
せめて中南米だけでもいきなり状況が好転しないかな。。と思ってみたり。

パジェはすごく良いところです。
ほぼ全ての住民がムスリム(イスラム教徒)のザンジバル島は総じて親切な人が多いですが
ここでは観光客への慣れもあってあまり人目を気にすることなく過ごせました。
モシでの停滞でなくパジェを選んでいて本当によかったと思います。
モシやダルエスサラムではアジア人への当たりがキツくなった、という話も聞いたので。


さて、長くなってしまいました。
旅をしていてこういう状況でした、というのはこれくらい。
また別の投稿で帰国便決定と実際の帰国、入国がどうだったか書こうと思います。


  1. 2020/05/10(日) 11:35:41|
  2. 日本
  3. | コメント:0

【帰国】旅を振り返る


インドでに様子をアップしていますがここでちょっと話題がそれます。

昨日、5月8日に帰国しました。
成田に到着し、現在は東京都内で自主隔離中です。
帰国詳細については別途アップしますが、
とりあえずこの1年4ヶ月の旅を通して思ったことなどを。


旅のきっかけは、旦那との出会いでした。
共通の趣味である登山で知り合って話すようになるうちに、
彼が世界一周に出る予定である事を聞きました。


私は運動は好きだけどどちらかと言えば休日はインドア派。
というよりあまり社交的ではないし休日くらい自由にさせて、という感じ。
仕事で疲れていると言いつつ、いま思えばただの出不精。笑
あまり生活リズムや生活圏を変えたくないという思いもありました。

ただ、無類の本好きの私。
日本、アジア、ロシアなんかの近代史も大好き。
頭に空想として持つ印象的なシーンや都市がたくさんあります。
でも、文字やフレーズで記憶していて特に画像検索とかはしない。
文字から連想されるもので十分でした。

他のジャンルで好きな本は旅のエッセイ。
バックパッカーや、自転車やリアカーで世界を旅する猛者たちの話は
自分の足で行ったところ、出会った人や風景や文化ばかりでどれも面白い。
当時、友人の高校教師が教科書至上主義だったにも何か嫌だった。
こいつなんでこんな話してて面白味がないんや、、みたいな。
私にもまだまだ学生時代の知識記憶が残ってて全然新鮮味がなかったし、
それをさも学生に教えるかのように話されてもな、、と思ってました。
(友人じゃないんじゃね疑惑。笑)


そんな、
・出不精なのに頭でっかちになりたくなくて、
・頭のなかには膨らむ夢の場所がいっぱいある、
そんな状態の私。
旦那の話に食いつく

「え、どこ行くの???」
「どこが一番行きたい?」
「ルートは?西回り?東回り?」

まぁこの時、自分が一緒に行くなんてサラサラ思ってませんけどね。

付き合う前やしな。
近くに面白いやつおった!!的な。笑

それが気付けば一緒に行くことになり、
あれよあれよと退職して入籍して出発となりました。


なので、私のひとつの旅のテーマは
「私の頭に中の夢を自分で体験すること」
・ホーチミンに「私のサイゴン」を探しに行くこと。
・「アフリカの奇跡」と呼ばれるルワンダでマウンテンゴリラに会うこと。
・ユーラシアを横断して最西端のロカ岬に立つこと。
などなど。
自分が今までワクワクしながら読んだ場面や場所を追体験するのが楽しみでしょうがなかった。
正直、絶景とか割とどうでも良かった。


じゃぁ旅してみてどうだった?というと、
何より毎日が刺激的で楽しかった。もちろんしんどい時もあった。

毎日が追体験じゃないからね。笑
お互い行きたいところはあるし、ふたり共が行きたいところもある。
最初はそのすり合わせが私があまりうまくできなかったけど、
徐々にどういうスタイルで旅をするのか何となく決まってきて、
寄り道もたくさんしながらたくさんの景色と人と文化、宗教などに出会いました。

自分が追体験したいとことは感激したところもあるし、
あっこんなもんですかーあららーってところも。
逆に予想もしてなかった場面で感動したこともたくさんあったし、
やっぱアカンと思った!!てこともそれなりにあった。

まぁそんなもんよ。( ^ω^ )



でもでもやっぱり、
知識だけの頭でっかちでなく、自分で感じ体験するのが大事。
このことは旅をして変わりません。
むしろこれは旅に出る以前より痛切に感じています。

そして、
体験だけ、てのもダメ。
必ず知識とセットであること。

という事も強く感じました。

こんなことを書くと何でも知ってんのかお前と言われそうですが、
旅をしながらもそれなりに歴史や宗教については勉強しました。
kindleで何十冊も本を買って読んだし、場合によってはネットも使った。
現地に人と仲良くなったらいろいろ聞くこともできた。
確かに知識が十分でないところはたくさんあるよ。。
まだまだ知りたいことや山積みです。


でもね、
「もっと学生時代に海外に出ておけばよかった」
「若いうちにいろいろ見るのが良いよ!」
よく言われるこのフレーズたち、私あんまり肯定できない。
否定も出来ないけど。
何にも知らずに、〇〇は良かった! と終わってしまうのは勿体ない。

なので、私は30歳になってから旅に出てよかったと思っています。
体力的なしんどさは20代に比べてもちろんあるだろうけど、
今の私の知識や理解力で臨めて良かった、と思います。


この1年4ヶ月を振り返って、
私たちの旅は、
世界を理解することはできないけど、
世界の一部を知り感じることができた。


こう言えると思っています。

まぁでも、私たちが旅したのって、たかだか20か国程度なんですよ。
長く生活する様に滞在できた国はさらに少ない。
しかもこれまででまさかの1年以上かかってる。

世界って一体どれだけ広いんでしぃうね?
ネットが普及しようが人類未踏の地が無くなろうが、
世界はたったひとりの人間に私にとってあまりに大きいです。

でもこの旅を通して知ったこと感じたことは、
それによって理解できる事象が増えたことだと思います。
こういう時にこう感じる人がいる、この習慣文化がある人がいる。てね。

つまり、旅をして得たのは「知恵」です。

良くも悪くもそれをどう活かすか。
そもそもそれを活かすことが出来るのか。
私の人生はまだまだ試されてるね!しっかりやらなきゃね!




という振り返りでした。
まだまだまとめきれないけどどうにか出力したくて書いてみた。
帰国エピソードはまた別途ゆっくりアップしていきます!


  1. 2020/05/09(土) 07:53:36|
  2. 日本
  3. | コメント:0

いよいよ出発、、、初日から出鼻を挫かれる

ついにやってきた1月16日。
世界一周出発の日!!

初日は関空からタイのドンムアン空港までの移動のみ。
関空が17時台出発なので、14時ごろ関空に到着するよう自宅を正午前に出発しました。

神戸三宮からシャトルバスに乗ったのが13時ごろ。
前後に大きなザックを担いでの移動はなかなか大変だったのでやっと一息ついたころ、、、。
旦那さんからラインが。
「なぁ、これってどういうこと??」



おいぃぃぃぃぃぃ
待て待て待て待て

まさかの!出国の!! 飛 行 機 遅 延 /(^o^)\
初日から面白いことになってきたじゃないですか(・∀・)

もうシャトルバスに乗っちゃっているのでとりあえず関空へ。
旦那はあたふたしながらもいろいろ考えてくれてました。
遅延証明が出るのか?ドンムアン空港近くに確保した宿のキャンセルはどうするか??など。
私は面白くてひとりヘラヘラしてました。←ごめん


空港についてチェックインカウンターで問い合わせたところ、関空にまだ飛行機が到着してないとのこと。
今日はとりあえず宿と食事の手配はしますということなので一安心。
説明をします、と予告されていた時間にはチェックインカウンター前は大混雑。
私たちの前に4、50人くらいはいたかな?それでも行列の前の方にいる感じでした。


結局予告時間から1時間くらい経ってやっと手続き完了。
空港から少し離れたホテルと往復のバスの手配をしてもらいました。

ただ今晩の宿はキャンセルしなきゃ。
キャンセル料がかかるのでまさかの初日から海外保険の申請をします。。
旦那が電話で問い合わせをしてくれて、宿の予約票コピーと遅延証明と払い戻しの口座情報を郵送することになりました。
そのあとは空港内のダイソーで封筒を買ったりコンビニで印刷をしたりとバタバタ。


ホテル移動の前に記念にパシャり。



まーこの後の移動も大変だった。
指定されたバス停に行っても誘導スタッフがまともにおらず周りもここでいいのかな?状態。
唯一いたスタッフのお姉さんに確認しにいって無事移動バスには乗れました。
スタッフのお姉さんも手一杯そうで大変だった。。お疲れ様です。


準備してもらったホテルは普通のビジネスホテルのツイン。


夕食はミールチケケットをもらいました!
ホテル内レストランのバイキング。食べ過ぎた。。




ということで旅初日はドタバタでした。
予定のない旅なので逆に面白い!と楽しめたかな。笑

さてさて明日は4時半起き、5時にホテル発です。
8時に離陸、ドンムアンは昼頃着かな。予防接種も時間間に合いそうです!!



  1. 2019/01/16(水) 23:28:58|
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  3. | コメント:0

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Author:nanako
旅と登山が好き。
小麦・大麦・ライ麦・オーツ麦、蕎麦のアレルギー持ち。
2019/01/17より世界一周旅スタート!
備忘録用のブログですが、各国の食事やグルテンフリー情報をお伝えできたら。。

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