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小麦アレルギーだけど夫婦で世界一周旅中。PC閲覧推奨。

【インド】忘れられた仏教石窟寺院群、アジャンタ

今日も東京は天気が悪いです。
雨は降っていないので洗濯を敢行。
帰国してから文明の利器(洗濯機)の便利さにすっかりやられております。
旅中の汚れもスッキリ。


さてムンバイからオーランガバードへ移動しました。
夜行バスにしましたがまさかのバス会社の営業所が最近移転したらしく、
旧営業所から新営業所までの2キロくらいの道を慌てて歩きました。
何につけても早め行動が大事。

バスは2×2シートだった(普段は2×1が多い)のでちょっと狭めでした。
例に漏れず発車15分で爆睡でした。めでたしめでたし。

オーランガバードには早朝到着。
チェックイン前なので宿に荷物を置かせてもらいアジャンタ石窟群に向かいました。
宿のスタッフが「4時間かかるよ!」とふざけたことをぬかしており、
ンな訳あるかと思ったらやっぱり乗り換えを含め2時間半くらいでした。
結構かかったな。
偶然にもホテルの前からバスが出ていてとても助かりました。
そして近くに座ったインド人の男の子が親切で、乗り換えのバスを教えてくれたりと本当にありがたかった。



バスはアジャンタの入り口より少し手前にある駐車場に止まります。
そこからは歩き。


駐車場を出る時に謎に15ルピー支払いが必要です。


お土産ショッピングゾーンを通り抜けて、


石窟群入り口へのバス待ちは大行列。




バス待ちの間に日本語喋れるっぽいガイドさんに熱心に勧誘されましたが、
ただでさえ入場料が高い(外国人は600ルピー(約1000円))ので断りました。
ガイドして貰った方がもちろん面白いんだけど。ごめんね。


さてやっと到着。




ちょっと階段をのぼって、進んだ先には馬蹄型に広がる石窟群が!
圧巻の景色です。



1番石窟から順に見学していきます。










アジャンタは仏教石窟群です。
立派に残る壁画は前回ポストのエレファンタ島(ヒンドゥー教石窟寺院)と異なる雰囲気。

1819年4、狩猟に参加していたイギリス人士官が、
虎に襲われてこの渓谷に逃げ込み発見したのがこのアジャンタ石窟群。
8世紀ごろまで繁栄していたそうなので、本当に長い間忘れ去られていたようです。

インドは今や80%がヒンドゥー教徒、仏教徒はほんの数%しか存在していません。
それでもかつてはこうやって石窟寺院を作るような勢力があったんだなと思います。

ちなみにムンバイにも仏教系石窟群が遺されています。
サンジェイガンジー国立公園にあります。
水場があるのでインド人の生態をしかとご覧いただけますが、
どうせムンバイ滞在ならエレファンタ行ったほうがいいんじゃねと思います。







なんで遺跡横の川でこんな水遊びが始まるかな・・・


次、2番石窟。これがすごい。


入り口部分にすだれがあると思ったら、天井ががしっかりと残されていました。


内部は壁画だけでなく柱の彫刻も見事に残り、


一番奥にある仏像の前、天井には見事な曼陀羅が。


その他天井がや壁画。
2番石窟が一番豪華に当時の状態を残してあると思います。







圧倒されて出たけどまだまだ序盤。
順々に見ていきますよー。



この後も基本的に構造は同じ。
入り口から入ると石柱の続く広場のようになってて、壁画・天井画・仏像が残されています。







アジャンタに30ある石窟のいくつかは未完成。
ただ広間のようになっているだけの石窟もあるし、
それに加えて僧が寝起きしたり瞑想をするための小さなスペースがある石窟がありました。



次に豪華なのは第19石窟。
入り口からこんなに豪華。


内部は仏像ではなくストゥーパが祀られています。
後日調べたところ、初期はストゥーパ、後期にかけて仏像が祀られたようです。
これはその流れの中でストゥーパに仏像が彫られたよう。


石窟自体も豪華!
見事な柱の装飾と壁画が残っていました。








最後は第26石窟!
アジャンタの中でもおそらく最大級の規模。




ここの見どころは何せこの涅槃像。
インド最大級で7m越えです。




満足まんぞく。




第26石窟の後は未完成の石窟ばかり。
さくさくっと見てこれにてアジャンタ観光は終わり。


奥に行けば滝が見えるってことで行ってみた。
アジャンタ全景を見渡せる高台もあるよ。




以上大満足のアジャンタ石窟群観光でした。
オーランバガードとの往復時間も考えると1日がかりです。
日帰りでこられた日本人(インド駐在だそう)はオーランガバードから700ルピーの往復バスを利用されたそう。
直通なので乗り換えがなく、見学時間もわりとたっぷり取れたようです。
詳細不明ですがこちらが便利でいいかも。
もちろんバスを乗り継いでローカルで行った方が安いです。
私たちは17時発のローカルバスにのって、往路と同じ場所で乗り換えて帰りました。


さて次はいよいよエローラ。
アジャンタと同じように石窟群ですがこちらは仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教と複数宗教が混ざった石窟群です。
エレファンタ石窟群の霞む見事な遺跡です。
お楽しみに~~


  1. 2020/05/22(金) 10:09:20|
  2. インド
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【インド】それでもやっぱりすごいエレファンタ石窟群

ここ数日、東京は天気が悪いです。
それと同時に私のくしゃみと鼻水もひどいです。
天気予報では花粉はそんなに飛んでないはずだけど。。


今回ポストは世界遺産のエレファンタ石窟群。
ムンバイから船で少し出た島にある、ヒンドゥー教寺院です。
インドでは数々の石窟寺院を見てきたしこれ以後も見続けますが、本当に細かい!
なんで普段のあの大雑把・超雑なインド人にこれが作れるんだろう。

インドを時計回りに周遊するとき、ムンバイ以降の
エレファンタ→アジャンタ→エローラ
と続く石窟群の流れは本当に素晴らしいです。
アジャンタとエローラが凄すぎてエレファンタ石窟群は霞まくりますが。
それでもエレファンタ石窟群は一見の価値ありだと思います。

と、つらつらと「すごくいいよ」感を出してみましたが、
まさかの当日の日記がありませんでした。
(iPhoneのメモに日々残してあるのにこの日だけ無い)
と言う事で、写真見ながら思い出しながら書きます。


朝ごはんは宿の近くの食堂でドーサ。

うまいうまい


石窟群はエレファンタ島にあり、インド門やタージマハルホテルのある港から船が出ています。
インド門の近くに行ったらチケット売りのおじさんがうじゃうじゃ歩いています。
まず間違いなく漏れなく彼らが私たちに声をかけてくるので楽々購入。




乗船に特に予約は不要。
繁忙期は10分おきとかにどんどこ出ているようです。

船からはなんか戦艦が見えました。



エレファンタ島に到着。
移動用の列車がありますが歩いた方が早いです。






なんとなく江ノ島っぽい感じ。
雨季でビニールシートがあるのが残念。
お店は全部お土産物屋で、象の置物とかシヴァ神の人形とか子供用のおもちゃを売っています。


階段をのぼり切ったところで券売機。
外国人600ルピー(1000円位)、インド人40ルピー(70円弱)と言うこの差!
2019年時点でインド国内の世界遺産(タージマハル除く)はほぼ600ルピーです。

けって思うけどResidence、Non-Residenceの区別は他の国にもある


入場して右手、1つ目の石窟がこちら。




斜面を入り口に、奥まで広く石柱の連なる広間になってます。

奥には3面のヒンドゥー教壁窟が。

正面、巨大なシヴァ神の胸像


左側から正面


右側

ヒンドゥー教らしい豊満で躍動感のある石像です。
アジア各地でみる仏教の石像はもっと静かでまっすぐ座ったり立っているし。


広間の中には区切られた部屋のようなスペースもあります。



リンガがお祀りされていました








第一石窟の構造は入り口が北側。
東と西側にもそれぞれ庭のようなスペースに面した副堂?があります。

これは東側

そしてリンガの祀られているスペースは広間の中心より西よりにあります。
ちょっと他では見ない構成。



以降、第一窟より先、奥に順々に進みます。
写真どんどん貼っていくよ。



自撮り大好きインド人







5枚とも第二窟にて。
第一窟のように壁像がしっかり残っている石窟は他にはありませんでした。
長らく放置されていたそうなので雨風の影響かもしれないし、持ち出されたのかも。



一番奥の石窟(第六か第七、忘れた)は立入不可


エレファンタ島の石窟は7つ。
コンパクトながらわりと見応えはあると思います。
でもまぁアジャンタとエローラはこの比じゃないのでそれらの前に行っておくべきかな。。


個人的に面白かったのは石窟以外にも。
第一石窟やチケット売り場の近くにある階段を登った先にそれはあります。



軽いハイキング道を進むと廃墟と言うか何かの施設跡が見つかります。

そこにあったのは錆びてしまった大砲。それも1つではありません。







全く説明が無いのでこれが一体いつのものかは分かりませんが、
まぁここ数十年内のものでしょう。
ムンバイ(旧都市名ボンベイ)はかつてインド最大の港をもつ都市として発展しました。
これらの大砲は間違いなく都市防衛を目的としているはず。
6~8世紀に作られた宗教的な施設と、ここ数十年のこの大砲が同じ島に共存しているのは非常に面白い点だと思います。


さて、帰りも同じようにボートでムンバイまで帰ってきました。
この時は晴れていたのでインド門前も結構な賑わい。


おかげで駅の外観もしっかり見えました。



ムンバイで行きたいところはこれで見終わり。
次の都市のオーランガバードまでは夜行バス移動です。


おまけ
ムンバイの小さい商店でまさかのヤクルト発見!
これだよ~乳酸菌飲料といえばこれだ~~~



  1. 2020/05/20(水) 13:47:25|
  2. インド
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【インド】世界最大の洗い場、ドービーガート

5月の日本て気持ちいいですね。
窓を開け放して(花粉症でズビズビしつつ)、風が部屋を通るのを楽しんでいます。
外手自粛期間と自主隔離期間が終わるのが5月末。
その後はあっという間に梅雨が過ぎて夏になるんでしょうか。


ムンバイ観光続き。
世界最大の洗い場としてギネスにも登録されているドービーガートを見に行きました。

Dhobi Ghat

ドービーとは「洗濯人」のこと。
ヒンドゥー教の身分制度であるカーストに組み込まれない、不可触民の職業のひとつです。
そしてガートはインドにある水場の総称ですね。
多くが階段状であり、沐浴や火葬、洗濯に使われています。


上の写真で見えるように、ムンバイの大都会の片隅にデデンとある巨大な洗濯場です。
このギャップ感はなかなか衝撃的でしたがどうでしょうか。

区画ごとに分けられた洗濯場と大量の洗濯物が目を引きます。





入り口以外は壁に囲まれたエリアですが、観光客も簡単に入ることができます。
英語のできる人が声をかけてきて、100ルピー(170円位)でガイドを請け負っています。



中はこんな感じ。
午後に行ったので作業中の人はあまり見かけませんでした。

洗い場には洗い物を打ち付ける石が設置されています


大量のズボンを洗濯中


台や洗濯物の上でお昼寝中の人も


アイロンの担当の人
シャツ1枚XXルピーといった出来高制だそう




色や素材ごとに洗濯をしている様子




ドービーガートは160年前のイギリス統治時代にイギリスによって作られました。
敷内には900もの洗濯場があるそうです。
洗濯場はドービーひとりに1つずつ割り当てられています。
彼らはこのガートの中で生活しているので、ミニマム900世帯が住んでいることになります。

彼らの顧客は個人だけでなく、大手衣料メーカーや病院も対象だそうです。
洗濯・乾燥・アイロンがけをして顧客に返却されます。
だから同じ色や素材、商品でまとめて洗濯しているのが見られたのか。
滞在しているドミトリーのシーツとかもここで洗われてるかもしれないね。


中を見学して驚いたのがこの巨大な洗濯機と乾燥機!!
5年ほど前に導入されたそう。(訪問は2019年7月)
自前で購入するか、使用量を払うことで使用できるそうです。




この洗濯機・乾燥機の導入により洗濯場の利用率はかなり減ったそうです。
使用料の払えない洗濯夫のみが洗濯場を現在も使っているそう。


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ちょっとそれますが、カースト制度について。
ざっくりと説明するとヒンドゥー教の身分制度です。
バラモンと呼ばれる、司祭などの神聖な職業に就く人がいる一方で
ドービーを含む不可触民(アウト・カースト)がカースト制度によって区別されていました。

自身のカーストにより就ける職業は限定的になり、
結婚も異なるカースト同士ではできない、と言ったようなことも起こりました。
カーストによっては入れない場所や施設もありました。

1950年にカーストによる差別は禁止されています。
ただ、現実的としてその余波は現在にも引き継がれています。

旅の中でインド人とたくさん話す機会がありましたが、
名刺にミドルネームのような形で自身のカーストについて言及があったり、
結婚に際して「妻のカーストはXXだったから、~~」という話があったりと
まだまだヒンドゥー教ないしインドの中では人々に残っている感覚であるように感じました。
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話戻ります。
つまり、ドービーという職業はカーストによって受け継がれていました。
顧客も祖父から父、子へと受け継いでいたことになります。

カースト制度による差別が禁止された今でも、
それまでの生活を大きく変えて先祖代々と違う職業に就く(就ける)人はどれくらいなんでしょう。
一部は先祖代々からの顧客を相手に、ずっと見て育った父母の仕事を継承したんだろうな。

ちなみに、洗濯機・乾燥機の導入により、
最大1万人いたと言われる人口もいまや2000人ほどに減ったそうですよ。


さて見学さらに進めます。
↑に書いた通り、敷地内には洗濯人とその家族が住んでいます。
あまり写真に撮っていいもんかわからなかったので写真はありませんが。。
洗濯場や洗濯機の横や裏に小さな部屋がところ狭しと並んでいます。
中は3畳とか4畳くらいの小さな部屋です。
家族で住むとなるとなかなか狭そう。

人が住んでいるので、洗濯以外の生活に関する空間もしっかり設けられています。
ここは炊事場。

写真の男性がガイドです
英語はどこで覚えたのか……彼は選んでここに住んでいるのか住まざるをえないのかは聞けませんでした


お昼ごはんかな?


内部の観光はこんな感じ。
ガイドのお兄さんはチップ請求とかもなく、ただただ案内してくれただけでした。
内部も別に怪しい雰囲気はありません。
まぁ生活空間に思いっきり入っていくので個人的にはちょっと気を使うかなという感じ。

まぁ大都市ムンバイにあって周りには高層マンションが立ち並び、
ムンバイ出身の知人(ビシャーカパトナムで話しかけてきた)も入った事がない言うので、
確かにインドのカースト制度が垣間見える場所ではあると思いました。
ムンバイは大きなスラムもあるしね。影っぽい部分と言えば確かにそうか。

ただ、当の洗濯人とその家族がどう感じているのかわからないし、
近年はムンバイの密集住宅事情もありスラムやガートから一般企業に通勤する人もいるそう。
なので旅ブログでたまに見かける「カーストの闇を見た!」みたいな表現はできません。
インド各地でドービーや洗い石を見かけていたので、
それがここまで密集して集まっている様は圧巻ですごいなぁと言うのが単純な感想です。
特に危険な感じでもないので、ムンバイに来たらどうぞ行ってみてください。


よし!次やっとエレファンタ島!
振り返るとインドはやっぱり広かった。全然終わらない\(^o^)/

  1. 2020/05/17(日) 11:41:22|
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【インド】雨季のムンバイ、雨が酷すぎる

今日もいい天気。
帰国してから鼻水とくしゃみが止まらないのは花粉のせいでしょうか。。
せっかくいい季節に帰ってきたから窓もカーテンも開け放してるけど、
自分が花粉症持ちだってことを完全に忘れていました。辛


ムンバイ滞在2日目、中心部の観光スタート。
この日の目的地はエレファンタ石窟群。
朝10時前のメトロに乗って中心部に向かいます。朝から雨。


メトロはかなりの混雑でした。
みなお仕事に向かってるんかな。

その後何回か乗ってわかりましたが、ムンバイのメトロの混雑はやばい
ドアがないのでかなり危ないです。
でもインド人、みなドア際が大好き。


実際にのるとこんな感じ。
確かに爽快!けど怖い!!



乗り始めてすぐはドア際から外を見たりふたりで話したりでよかったけど、
延々乗っていてもムンバイに到着しない。
カイザーからはこの列車であれば1時間で着くと聞いていたのに。。
Googleマップをみると全然進んでない上にたまに長期停車している模様。
結局ムンバイ中心部に到着したのは3時間近く経ってからでした。

チャトラパティ・シヴァージー駅(ヴィクトリア駅)は世界遺産。
イギリス統治の名残を感じる外観。
2008年にはムンバイ同時多発テロで襲撃されています。

この晩に確認したところ、大雨の影響だったようです。
雨で遅れることがあるとはカイザーも言っていましたがここまでとは。
(カイザーもさすがにそんなに遅れたのは聞いたことがないと言ってましたが。)
ムンバイは度々大雨による洪水があり時には死者も出ます。
この年も酷かったようです。


この時点でこの日のエレファンタ石窟群行きは断念。
とても今から言って満足に見れる気がしない。。

ということで、チャトラパティ・シバジ・マハーラージ博物館に行くことに。
旧プリンスオブウェールズ博物館とも言われるコチラ、世界遺産。
インド恒例の外国人価格どっひゃーです。この差。



妙に豪華なチケット


さーて入るよーー。
傘は入り口に預けて、エントランスで音声ガイドを受け取り。






インドと思えぬこの内装。
ヒンドゥー教寺院の柱、イスラム教式のドーム型天井の異文化ミックス。


展示はヒンドゥー教中心の像や、絵画、ネパールや中国との交易が見えるもの、
インド最大の自動車メーカーTATAの創業家の所有美術品などありとあらゆる美術品。

像のコーナーはヒンドゥーを中心にジャイナなど他宗教のものも。



ここでもシヴァ神の前にはブルが鎮座。




みんな大好きガネーシャ


中国との交流品では翡翠の装飾品が多数。みな綺麗。




この小瓶も中国。
3~5センチくらいの高さ、用途なんだっけな、、忘れちゃった。




日本の焼き物もちょっとだけ。



これ面白かった!
インドの細密画について。





インドを代表する名門TATA家の所蔵品コーナー(むっちゃ広い)
西洋画が多かった印象。



ファブリック系はまとめて小さな部屋で展示してありました。




大型動物の標本も。
王族の嗜みだったのかフォート(城)でもよく見かけます。



正直、見て回るのは丸一日仕事です。。
圧巻の美術品の数々で大満足だけどけっこう疲れました。


博物館を出たときは雨もほんの少し小ぶり。
海岸沿いまで歩いて行ってインド門とタージマハルホテルも見てきました。
タージマハルホテルはヴィクトリア駅と同じく2008年のムンバイ同時多発テロで襲撃されています。

イギリス人提督や著名人を海から迎えるための建造物


TATA創業者が白人ホテルに負けぬインド人による豪華ホテルつくったるで!てことでできたそうな



この日はこの旅でて一番じゃないか?ていう雨の降りようでした。
1日中スコールみたいに降るんだもん。。外に出るの嫌になってしまう。

雨が止んだ隙に町あるき。この写真だけ見たらインドと思えないね。

ということでカフェで一休み。ホットチョコレート!
ムンバイは都会なだけあっておしゃれーなカフェも多いです。



さて帰るか。夜のヴィクトリア駅も荘厳でした。



駅からどの電車に乗ればいいのか分からず。。
停車中の電車の運転手さんに聞くとこの電車だと言うもののどうも違うっぽい。
発車後どんどん違う方向に向かうGPSを見て唖然。テキトーかあの運転手!
一生懸命スマホで調べていると、画面を見たのか周りの人が気にかけてくれて、
私たちと同じ方向に乗り換えるおじさんとお兄さんが連れていってくれることに。
ありがとうありがとう( ;∀;)

なお、先に書いておりますが、
ムンバイのメトロ、ドアがありません!
そして時間は帰宅ラッシュ。
こちらの動画をご覧下さい。


そんでもって乗客、何をそんな急ぐのか本当にわからないけど、
停車前にホームに飛び降りるし飛び乗ってきます。うそやろ
おかげで電車がホームに到着するたびにホームは人だかりがぶつかって弾き飛ばしあい。
車内のドア付近にいると正直かなり危ないです。
地元のおじさま方が「次の駅でそっちのドアが開くから離れて気をつけて」と声をかけ、
移動後も私たちよりドア側に立ってくれたりとかなり気を使ってくれました。

まぁこんな感じなので、乗り換えも一苦労です。
事前におじさまが「私の後をついてくるんだよ!遅れるな!!」と言って、
停車前に流れ出る乗客の波にのって(お前も停車前に降りるんかーい!)必死についていく私。
下車後も人の流れに沿って人の空いたエリアまで出て、乗り換えホームを教えてくれました。
お礼を言う前にお互い押し流されて手を振るので精一杯だった。

インド人、観光地はめんどくさい人が多いけど、
観光業以外の普通の人たちはあまりに親切。みな優しく親切。
こういうローカル電車なんかでは彼らの優しさが身に染みます。
まぁ、その優しさをその乗降者なんとかしようって方にぜひ回して欲しいです。


そんなこんなで21時ごろにカイザー宅に帰って、
仕事帰りのカイザーと娘さんと晩ご飯を食べて寝ました。
奥さんは今日も遅かったみたいで、直接ご実家に帰ったみたいです。
朝のメトロの遅れで十分に見て回れず、もう少しムンバイに滞在したいけど
奥さんがご実家で寝る状況はちょっと申し訳ないので、翌朝からは宿に入ることにしました。
2泊お世話になったご家族には感謝です。
ゴアで最悪のイメージになったカウチサーフィン、また良い思い出ができました。


ということで、次ポストでは引き続きムンバイ観光でっす。

  1. 2020/05/14(木) 09:09:28|
  2. インド
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【インド】ホストはただのいい人、インド人は水びたし。

引き続き外出自粛中です。
1日中引きこもる生活で全然疲れないからか、
時差ぼけはなおったものの毎日かなり早くに目が覚めます。
ちなみに今朝は4時前に起きた。朝日がきれいです。
そしてちょうど1年前の今日はバラナシで朝日を見ていた。
5月のインドは暑かったなぁ。。


しばらく帰国についてアップしていましたがインドに戻ります。
カウチサーフィインの超いけてないホストご夫婦から逃れムンバイに到着。
ムンバイでも2泊カウチサーフィン利用の予定で既にやだなぁ状態。


朝ご飯はバスを降りて、近くのお店で。
イドリー頼んだらダヒ(ヨーグルト)にずぶずぶに浸かって出てきた。

ふかふかのイドリー食べたかったけどこれはこれで良し。



ホストのお宅はムンバイ中心部から少し離れたところ。
メトロで向かいます。



ドア全開。ホームにバケツ売りのお兄さんがいるね。

電車は座れたので楽々。
ちょうどムンバイに通勤してくる人とは逆の路線のようでそこまでひどい混雑ではありませんでした。

最寄駅について事前に教えてもらった住所を目指しててくてく。
近くまで到着したものの該当の住所はないと地元のおっちゃんに言われ、
しかもホストのカイザーがWhatsApp(海外版LINE)に全然反応してくれない・・・。
どうしたもんか、カウチサーフィンやっぱめんどいな。。
結局その後10分15分くらいでカイザーがマンションから出て来て見つけてくれました。
事前に教えてくれた住所のマンション棟番号か部屋番号かがちょっと間違ってたみたい。
寝てたわ!ごめんな!と言われお部屋に通してくれました。


お部屋の写真はないですが、日本で言う団地みたいな感じ。
玄関入ったところに一部屋、風呂トイレを挟んでキッチンと寝室。
そこに奥さんと娘さんとの3人暮らし。
決して広い家ではないけどインドではたぶん中流家庭に当たるのかなと思います。

朝ごはん食べる?と茹で卵とかサラダを出してもらい、午前中はしばし歓談。
カイザーにとっては初めてのカウチサーフィン体験。
ゲストである私たちを迎えるために仕事はお休みを取って(!)、
あまりにウキウキわくわくしてたらなかなか寝れずに寝坊したそうな。笑

前回のホストが最悪でかなり警戒していた私。
話してみるとカイザーは本当に「ただのいい人」で、朗らかな優しいお父さんでした。


奥さんと共働きなので料理も洗濯も掃除でもなんでもやるって。
お昼ご飯もお魚でカレーを作ってあげよう!と腕を奮ってくれました。

玉ねぎをしっかり炒めて、トマトと揚げておいた魚を投入、スパイスで味付け。
ご飯はジーラ(クミン)ライス!


キッチンも見せてくれて、これのスパイスはXXに使う、
この食材はよくてこういう時(症状)に食べるんだよ、とひとつずつ教えてくれるカイザー。
やっぱりインド人は医食同源の感覚が強い。
ムンバイみたいな大都会にいる人でもそうなんだなぁ。


この日の予定は特に決めていなかったので、
カイザーの案内で近くの滝を見に行くことに。ピクニックスポットだそうな。
オートをつかまえて10分15分くらい。

入り口の時点で既に小さい滝がひとつ。





なんなんでしょうねこの図。
今までも何度もあってもはやこの時点で何も不思議に感じなくなってるんですけど、
インド人なんでこんなに水場が好きなんでしょう??
みんな寒かろうが雨が降っていようがそのあとバスに乗る予定があろうが
絶対に水に浸からないと満足しないよね。⊂((・x・))⊃ぶいーん

川を超えて道は登り坂に。


カイザーが「ちょっとアスレチックっぽい道と普通の道どっちがいい?」と聞くので、
「アスレチックで!!」と即答する私たちふたり。
カイザーがちょっと「えっ」て顔したのは見なかったことにしよう。(むしろなぜ聞いた笑)

はい、結構ハードでしたー!!

サンダルは危険

カメラ死ぬから仕舞って、ガツガツのぼる。
振り返ると遠くにはビル群。



到着したのはなかなかの迫力の滝!!


・・・・うん。
滝ってこんなにアグレッシブに攻め入るもんだっけ?


もうね、無茶無茶大盛り上がりなんですわ。
きゃーきゃー言って滝に突っ込んでセルフィー大会。





この楽しそうなおじさんよ。笑

さすがにインド人ばりに突っ込むことはできませんでしたがびしゃびしゃになって楽しみました。



帰りは普通の道で。
さすがに往路をそのまま帰るにはカメラが心配。笑
地元民のみなさまは道を譲ってくれたりととても親切。
インド人はゲストファーストの精神がすごく強い。
カイザーもインド人はみなそうだよ!と自他共に認める感覚のようです。


川のところまで戻るとやっぱりインド人は水びたしでした。温泉か。



またまたオートを拾ってカイザー自宅まで戻ってきました。
あー楽しかった。
おやつ食べよう!とパコラを作ってくれました。


パコラはヒヨコ豆粉(ベサン粉)を衣にした天ぷらのようなもの。
スパイスはもちろん、玉ねぎやコリアンダーの葉を細かく切って混ぜ込んだりします。
おやつというよりガッツリ食事。

近所に住むおじいちゃん(奥さんのお父さん)のお宅まで娘さんを迎えに行って、
そのまま近所の魚マーケットや野菜のマーケットを覗いてきました。
ムンバイは結構魚食べるエリアなのかな。


夫婦共働きなので娘さんは学校が終わった後にお爺ちゃんのおうちで過ごすそう。
仕事終わりに夫婦のどちらかで迎えにいって、ご飯を食べて、という感じ。
奥さんはIT企業にお勤めでフルタイムばりばりと働いています。

インドは女性の社会進出率はかなり高いと感じます。
ただ意思決定権は弱いですね。宗教的な理由もあると思いますが。
女性優先の券売レーンがあったり女性専用席は当たり前に女性が使える(譲られる)ので
そういうところで意思決定権の弱さをカバーしている風に見えます。


晩ごはんはカイザー作のチキンカレー。


奥さんは帰宅が遅くて22時とかだった。
なかなかお忙しいようです。。
お二人はムスリム(イスラム教徒)。
奥さんは家族以外に髪を見せることはできずスカーフが外せません。
家族以外の男性と同じ部屋にいるのもあまり良くないので私たちの滞在中は近所のご実家へ。
おっとそれは想像してなかった。。。本当にごめんなさい。
ご夫婦で納得してホストとなってくれているので気にしなくてもいいんだけど、、。
そういえばムスリムのご家庭にお邪魔するのは初めてで全然気に回らず申し訳なかったです。
ということで残念ながら奥さんと話す機会あんまりなし。
ムスリム女性とじっくり話してみたいけど夫婦旅だとしょうがないかな。

ちなみにカイザー宅、ダイニングなるエリアはありません!!
なので玄関を入ってすぐのお部屋のベットの上にビニールを敷いて、その上に皿を置きます。
インドはこの後もいろんなお宅にお邪魔しましたがこういうことが多かった。
お金持ちのお宅でもダイニングテーブルってほぼないです。


食後も色々と話して気付けば夜中。
24時半くらいに就寝。
玄関入ったところの部屋のベットを貸してもらいました。
奥のエアコン付きの部屋を勧められたけどファンもあるし全然問題なく快適。
狭かったら旦那蹴り落として寝るわ!と言ったら笑ってた。

翌日からいよいよムンバイ観光。

  1. 2020/05/13(水) 06:54:17|
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【帰国】ダルエスサラムから成田まで


外出自粛要請を受けて引きこもり中です。
Airbnbで借りた部屋からは東京スカイツリーが小さく見えています。
偶然にも角部屋だったので窓が多く、明るく風通しがよくて快適。


さて実際の帰国について。
私たちは韓国政府の臨時便(ダルエスサラム→ドーハ→仁川)に乗せてもらう形での帰国となりました。
ドーハまでの便が上記の臨時便、ドーハ→成田は商業便、ということです。
まさかのこんな機会でカタール航空初搭乗となりました。



チャーター便に乗るまでの経緯

パジェでのんびりしていた私たち。(在タンザニア日本大使館には滞在中の旨を連絡済)
4月18日にはエチオピア航空の無期限運休前最後の成田行の便が出てしまいました。
(3月末にはオマーン航空やカタール航空が運休に入っていました)
この前後でタンザニアの感染者数のは激増。
毎日数十人単位での新規感染者が確認され、総感染者数はあっという間に200人超え。
これは帰国の目処が全然立たないな。。という状態でした。
パジェ含まれるエリアでも数人の感染者はいたようです。
現地の方相変わらずのんびりした雰囲気でしたが。


チャーター便が出るかも、と連絡をいただいたのは4月30日でした。
すでに19日ごろから調整中と連絡をいただいていましたが、
これについては滞在日本人が搭乗する余裕がなかったりタンザニア政府が直前まで空港利用許可を出さなかったりと色々問題はあったようです。。

手配したチャーター便は5月7日で調整中とのこと。
悩みましたがこのご連絡をいただいて帰国を決めました。
ビジネスや就学などで生活拠点をタンザニアにもつ方は多くが残留したようですが、
私たちはただの旅行者なので長期滞在はビザの期限もあるし、
そもそも全く移動をせず生活を続けるのがある意味しんどいというのもありました。
都会に行けば毎日の新鮮さはあったでしょうがそれは感染の危険が高く、
パジェのような田舎では手に入るのは決まった食材だけの変わりのない生活。
せめて雨季でなかったら毎日海で遊んで満足したかもしれませんが。。

チケットの購入はダルエスサラムにあるカタール航空のオフィスに行く必要があります。
それ感染の危険やな、、と思いましたがしょうがない。
4日に支払い・発券ということで前日の3日にパジェから移動をしました。
久しぶりのストーンタウンとダルエスサラムはマスクをする人が大半で新型コロナウイルスの感染拡大を感じました。
まぁタクシーとかフェリーチケット購入の勧誘はしつこかったのでみな元気そうですが。笑



チケット購入

4日にダルエスサラムにあるカタール航空のオフィスに向かった私たち。
オフィス入り口のサニタイザーで消毒し椅子に座って待ちます。
朝10時の時点でオフィスにいたのは数人。
ヨーロピアンと思われる人は3人、タンザニア?の方が1人、インド系が2人、そして私たち。

まさかのオフィスに入って数分。

(偉い人)まだ処理出来ないから大使館の連絡があるまで待っといて!

(全員)へぇ?( ^ω^ )

何時間後に始められるかわからないから宿で待って。。。
せっかく20分近くかけて歩いてきたのに。。
どうしようもないので宿に帰りました。くそーーー。
何時間もかけて運転してきたので人もいて、その人はオフィスで待ったようです。

その晩(!)に在タンザニア日本大使館から連絡があり、
カタール航空とタンザニア政府との調整があり発券処理に移れないそう。
それせめて当日の朝に連絡して欲しかったです( ^ω^ )
せっかく感染の危険をおかして都会まで出てきたというのに。。

明日(5日)には発券できますかね?と聞くとそれも不明。
出発までには発券できるはずです。。とのこと。\(^o^)/
しょうがない。しょうがない!!
大使館職員の方も調整大変だろうなぁ。。本当にありがとうございます。


結局、発券は6日になりました。 \(^o^)/
12時~とのことだったので時間通りにオフィスに向かう。
建物の前には何人も待っていて、私たちも待ち番号を貰ってビルの前で待ちます。
途中でお腹減って昼ごはん食べに行った。
久しぶりに食べるローカルフードは美味しかった。



通りがかった私たちに「おいで!食べていき!」と朗らかに声がけしてくれました。
うわチナ(意味:中国人)だコロナだ、みたいな雰囲気はなくてほっとした。
今思えばタンザニアは東アフリカの中でもコロナのさ中でも過ごしやすい雰囲気だったなぁ。

昼ごはんを食べて戻ってきてすぐ呼ばれたので待ち時間は1.5時間くらいかな。
オフィス内の写真はありませんが、全員で20人くらいでした。
カウンターの前に等間隔で椅子がおかれ、距離を保てるように工夫されていました。

カウンターでは国籍を聞かれ、搭乗者一覧の中から名前を選んで伝えます。
日本人の一覧はA4の紙1枚、たぶん35人から40人弱だったと思います。
あとは支払い方法(カードか現金)かを聞かれて、支払っておしまい。
ものの15分で終了しました。


支払いは2674ドル。うふふふふふふふ( ^ω^ )
これは自分への誕生日プレゼントだと思うことにしたんだ・・・( ^ω^ )
*当日誕生日。レベル32に進化したぜ!!

普段は格安航空の乗り継ぎで10万弱。
高いです。消して安くない。
パジェならこの1人分の航空券代で半年の宿代です。
でもこうやっていろんな人が尽力して帰国できるんです。
格安航空会社の出現前も20万円後半だったので、チャーター便としては高くないです。
南アフリカからのチャーター便とか40万円やったしな。。泣

ということで無事に支払い・発券が完了。
あとは飛行機に乗ってしまうだけです。



さようならタンザニア

ジュリウス・ニエレレ国際空港へはタクシーで移動しました。
ダルエスサラムはアフリカ三大凶悪都市のひとつで流しのタクシーは強盗にあうとかあわないとか。
なのでUber使いました。
値段交渉もいらないし、どの国でも値段交渉頑張るより安い事のが多い。

出発のターミナル2(発券後変更)に到着、日本大使館の職員さんが待っていました。


名前確認し、水のボトルとマスクをいただきました。
職員の方はマスク以外にフェイスシールドも装着。
このあとチェックイン、搭乗までフルサポートでした。
本当にこの状況でのご支援がありがたいです。どうか体お気をつけて。。

13時にチェックイン開始。
預け入れ荷物の計量が超アナログな体重計みたいな量りでした。まじか。笑




出発は私たちの乗るチャーター便だけ。


空港職員の方はみな気さくで丁寧に対応して下さいました。
「次いつタンザニアくるの?^^」とニコニコ。
また落ち着いたら来たいなぁ。


日本人で集まってイミグレへ移動。
タンザニアでの滞在地を聞かれ、両手の指紋を登録。
搭乗ゲートでは軽食の買えるお店もひとつ空いていました。
さすがに搭乗人数的にゲートのところの密集度は高め。


搭乗はバスで機体の下まで移動。
たぶん分散させて人数いっぱいにならないように調整してはる。





機内は結構な密。うーんこれはしょうがない。
荷物の積み遅れかなんかで45分遅延して出発。




ディスプレイある便なんてひさしぶりでワクワクすっぞ!(LCCばっかり乗ってる人)
映画もたくさんあったけどまさかのイヤホンジャック死んでて見れなかった。笑
せっかくまとまった時間だしずーっとkindleで本呼んでました。めちゃ進む。
ちなみにリクライニングも死んでた。

機内食。


サラダには大麦入ってるしデザートはチョコムースだしでメインのチキンしか食べてない悲しい。
でも見て!ゴディバチョコ!!これ嬉しかった!
搭乗客はビールを頼む人もいて、飛行機の中はまるで通常営業。
食後のコーヒーサービス(*ゴディバもついてる)もあるし軽食(スナック)もあって至れり尽くせり。
クッションやブランケットもあって自分で準備しなくてもよかった。
LCC出てくる前はこんなの当たり前だったねぇ、、たまに乗ると素敵だねぇ。。


ドーハまでは6時間ちょい。23時半に到着。
そこから搭乗客は帰る国によって別々に散っていきました。

空港内は閑散とした様子


なんかでっかい熊?おった


手持ち無沙汰なスーパーカー展示職員


こちらにも熊おったかわいい




1時過ぎの搭乗までは搭乗ゲート近くのスタバでのんびりしてました。
ドーハ→成田便はかなり余裕のある席でした。






3席を1人で使う感じ。
搭乗客をセクション1と2に分けてセクション間は離して座席設定されていました。
私は前方のセクションの最後尾だったみたい。
因みに旦那は後方セクションの最後尾、要は一番後部席でした。

アメニティ配られた。
歯磨きとか靴下、耳栓、リップバームなど。うれしい。





飛行機は予定通り2時過ぎに離陸。
さて寝るかーと思ったら機内食提供の連絡。まじかYO( ^ω^ )眠

その前に入国時に提出する書類が配られました。




記入を終わらした頃に機内食提供。
深夜3時(タンザニア時間)のお食事。美味しくいただきました。

チキン生姜焼きでした
またもやサラダでデザートパン食べられず。アレルギーめんどいな。。

食事が終わる頃には夜明けでした。眠すぎる。


食事トレーやコーヒーのカップを回収してもらって就寝。
3席あるから足を上げて寝られてとても楽だった。
ほんの4時間くらいで目が覚めちゃったけど。
起きてからは映画をみたりまた本を読んだり。


成田到着2時間くらい前にまたまた機内食。

ベジタリアンメニューがトムヤムライスだった
ついに!ヨーグルトとカットフルーツでパン以外食べられた嬉しい

食事中から日本上空に入りました。
鳥取県北側の日本海から新潟県、長野県北部を通ってぐるっと東からまわって千葉県へ。

白根山が見えた。富士山はほんの一瞬シルエットが見えたよ。

上空からみる日本の風景は、何せ整然と区画分けわれた田んぼと畑が凄かった。
どうやってあんなにまっすぐ線を引いたんだ?てくらい、
ピシー!ピシー!!と長方形に区切られててびっくりした。笑

たぶん水をたたえた田んぼが夕日を反射して光っていて、
その田んぼや畑をスーッと横切るように新幹線の線路が引かれていたのも印象的だった。
雲に霞む山々も「あぁ日本だなぁ。。」と思う印象的な風景でした。

帰ってきた。
これでこの旅も一区切り。
再開したいけどもしかしてこれで終わりかもしれない。
感慨深いとはいえまぁ去年9月末に一時帰国してるからなと自分に突っ込みたい

成田には18時少し前に着陸。
ちょっと待てEチケットよりだいぶ早いな!!
Airbnbの予約日とかレンタカーの手配とかちょっと変わってくるんだけど・・



入国について

機内で配られたフォーム2枚は4月3日以降の入国者は必須です。
日本国内の滞在先、移動手段、連絡先などを記入。

飛行機を降りるのにも順番がありました。
まずはタンザニア、南アフリカ、マダガスカルからの帰国者から。
対象者は半分ずつに分けられて、記入したフォームを持って職員との対面問診のエリアへ。
フォームの入力内容の確認をし要請書の確認とサインをします。
要請書の内容は入国した次の日から起算して14日間の行動について。
・外出しない
・公共交通機関を使用しない
・健康状態を毎日チェックすること
・症状が出た場合の行動について
・家族等の身近で14日間を過ごす場合の注意
などです。

滞在先が決まっていない場合は受入れホテル一覧ももらえます。
滞在できるか連絡してみてください、とのこと。
ざっと見たところ一番安いところで1泊1部屋4500円くらいかな。
これらのホテルには成田空港からのバスを利用できるみたいです。

私たちはAirbnbで1部屋を丸借りすること、そこまではレンタカーを使う、というとOK。
青紙を貰って入国審査へ。


ちなみに!!
PCR検査は不要でした。
これはタンザニアが対象国に入っていないのでまぁその通りなんですが、
チャーター便の連絡が来た時に日本でPC検査受けてくださいね、ということだったのでよくわかりません。
ついでに言うとチャーター便に乗る前にPCR検査受けてくださいね、と連絡もあり
これはこれでストーンタウンの病院に電話して確認したりと大変でした。
病院からは当たり前に「症状がないのに検査はできないよ。。」っと言われ、
ですよねー( ^ω^ )と思っていたら結局不要でした。
え、搭乗前は不要ですよ?と後で言われてなんのこっちゃってなった


入国審査自体は自動化されているのでパスポートを読み込んで顔認識して終わり。
海外からの転入用にスタンプをもらって終了。

飛行機を降りてから入国審査まで、通路には何人もの職員の方が立って誘導されていました。
搭乗人数なんてたかが知れているのに。
みなマスクをして、笑顔で「お疲れ様でした」「おかえりなさい」と。
ありがたいやらうれしいやらこそばがゆいやら。
こちらこそこのチャーター便のために準備していただいたことがたくさんあるんだろうなぁと
ありがたい気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいでした。


保安検査を通ってついに日本に帰ってきました。
成田はガラガラ。到着便はわずか2便です。







この時点で19時前。
Eチケットではもう1時間くらい遅い予定だったので、
て言うかそもそもPCR検査受けるかどうかもよくわからんかったので、
Airbnbは翌日9日から押さえてあるし、レンタカーは予約客のみ対応で窓口にスタッフおらず。
どうしよう。。4500円のいちばん安い受入れホテル行くしかない!?となってしまいました。

さて困ったなぁと思っていると同じ便に乗っていたおじさまが私たちの押さえている部屋のすぐ近くにお住まいとのこと。
レンタカーで帰るし乗っていきなさいな、と言ってくださったのでありがたく乗せていただきました。
本当に助かった!ありがとうございました。本当に。
Airbnbはホストの方に連絡したら即行で8日からに変更してくださった。
こちらも助かりました。


21時には部屋に到着。
古いマンションをリノベして貸し出しているみたいです。
キッチンもあるしホテル住まいより快適。ホテルより断然安いしね。









東京スカイツリーが見える。
前に東京に住んだのは新人研修の時。
震災直後で、スカイツリーはまだ建設中だった。
時間なんてあっという間にすぎるんだな。


この晩は疲れもあって買って帰った牛丼を食べてすぐに寝てしまいました。

こんなに肉が薄く柔らかいとは・・・



帰国後の生活について

今日までまだまだ時差ボケしている気がします。
9、10日の朝は4時には目が覚めてしまいます。
今日11日も5時には目が覚めました。
夜は24時くらいに寝てるんだけどね。。さすがに夕方眠たいです。

あと、日本はご飯がやっぱりおいしいね。
お米がなんて甘いんだろう。
卵の黄身の色が濃くて生で食べられる。
野菜は灰汁が少なくて甘み水分が強くてすごくさらりと食べやすい。
選べる食材のバリエーションがあまりに豊富。
タンザニアなんか玉ねぎとじゃがいもとトマトしかねえぞ!!

そして、日本は加工食品がすごく多い。
9日朝食がどうしようもなくコンビニ食だったんだけどすごく味が濃い。
塩が強いんじゃなくて、顆粒だしとか化学調味料の濃さ。
ひさしぶりのせいかすごく強くてびっくりした。
食のバリエーションは少なくとも、海外の食事のが健康かも知れないとは思いました。
まぁこれは滞在エリアによるけど。

あとね、日本に戻って思うのはビニールゴミがすごく多い。
何から何まで個装しているからあっという間にゴミ箱がビニールだらけ。
スーパーで量り売り売りとかしたらいいのにね。
量の調整もしやすくて便利だしね。
でもまぁ日本の商品のきれいさと安全そうに見えるのはピカイチです。



終わりに

日記のメモをベースに思いつくままに書いてみました。
個人的な忘備録なので誰かの参考になるかはさっぱり分からん。

なにはともかく、何度も繰り返しますが、
この帰国に際し尽力いただいた全ての方に感謝いたします。
そして医療関係者のみならず日本を支える全ての人にも感謝してしたりません。
どうかみなさま健康に気をつけてお過ごし下さい。

  1. 2020/05/11(月) 11:29:01|
  2. 日本
  3. | コメント:0

【帰国】新型コロナウイルス感染拡大と私たちの旅

忘れてしまう前に書いてしまおうと思います。
つい先日の政府チャーター便での帰国について。

====================================================

まず、なにより、
この帰国に際し尽力いただいた在タンザニア日本大使館の職員の皆様をはじめ、
全ての関係者の皆様に感謝いたします。
本当にありがとうございました。
そして医療従事者を含め日本の社会を支える全ての皆様にも。
私たちのいまの生活の全てが支えられています。
いつか皆が笑ってこれまで通りの生活が送れることを切に願っております。

====================================================


このポストでは、新型コロナウイルスの感染拡大と、
そのときの私たちの状況や感覚をざっとまとめておきます。


ウイルスが確認され問題になり始めた頃、私たちはアフリカ大陸に入っていました。
2020年1月。エジプト。
ルクソールなどの観光地では中国からと思われる観光客もまだまだたくさんいました。
大丈夫かいな、と思いつつ。

その後、スーダン→エチオピア→ケニア→ウガンダ→ルワンダ→タンザニア、と進むのですが
コロナの影響を初めて感じたのはスーダン入国時でした。
時期は2月に入ったばかりのころ。
アブシンベルからフェリー・トラック(ヒッチハイク)・バスでたどり着いたスーダン国境。
添乗員の指示に従ってバスを降りたところにはイミグレのスタッフが待っていました。
体温を測られ、私と旦那には健康状態の問診票の記入が求められました。
防護服も完璧でないし、問診票は明かに観光客の私たちだけ。
体温を測ったイミグレスタッフ以外にマスクや手袋をしている人はいませんでした。
いま思えば初動は早かったけど万全でなかったと思います。

スーダン国内を進むのはほとんど問題がありませんでした。
現地の人と話す感じ、新型コロナは問題とは認識されていましたが、
中国だけのものだと思っている感じでした。
(いま中国はプロブレムあるもんね!日本人?なら大丈夫だね!てきな)
マスクなどの対策はまったく見られず。


あ、これは問題が大きくなってきたな、と思ったのは首都のハルツーム。
バスで到着した私たちが町を歩いていると「コロナ!」と遠くから叫ばれました。
うーん。
ただ、ハルツームでは「チャイナ!」とも言われるので、
あいつアジア人やわというだけで声をかけられていた感は否めません。
(彼らの大半は悪意でなくフレンドリーさがそういう声かけに繋がっています。)
同時期に旅をしていた日本人ではハルツームから気になったという人が多かったです。


エチオピアに入国したのは2月中旬。
入国にあたり、検温と健康状態に関する問診票への記入が必要でした。
これはアジア人だけでなく全入国者が対象だったようです。
直近14日間に感染が確認された国に滞在しているか確認されました。
詳細はメモし忘れましたが欧州数カ国も対象になっていました。もちろん日本も。
中国人だけでなく日本人でも警戒され始めてました。
ただ、日本人だけど直近2週間はエジプト、スーダンにいたというと問題なし。
イミグレスタッフは特にマスクや手袋の着用なし。

エチオピアも、コロナはアジアの問題でしょという雰囲気。
ただ危機感というか嫌だという気持ちはあるようで、
私たちを見るとそっと離れたりとか、口を服で押さえるような行動が見られ始めました。
でも、中国人じゃないとわかるとじゃぁ大丈夫か~、という感じ。
うーん。


ケニアに入ったのは2月末。
テレビでは連日、ニュースの多くの時間が新型コロナについてでした。
ナイロビでは英語の新聞やニュースを見る機会がたくさんありましたが、
感染予防に手洗いうがいを推奨し、死亡率や年代についての情報もしっかりあった。
このニュースであればそんなに混乱することはないんじゃないか、というくらいしっかり。
事実、ナイロビ滞在中に現地の混乱や不安感は感じませんでした。
相変わらずマスクなどの着用はなし。

この時の私たちはどうだったろう。
新型コロナウイルスの感染はこのまま拡大していくだろうとは思っていましたが、
南アフリカに到着(5月のどこかかな)するまでは大丈夫だろ、とも思っていました。
アフリカの後に予定していたヨーロッパは厳しいかも。どうしようか。という感じ。

でも、アフリカを同じように進む日本人トラベラーの離脱が始まりました。
この頃、ジョージアで日本人の宿泊拒否が発生したりと広いエリアで強く影響が出始めていました。

知人が帰国するという話を聞いてどうしようかな、とは思いました。
ただ日本に帰るという選択肢は正直あまりこの時点では強くありませんでした。
日本に帰るより感染の広まっていないアフリカにいた方がいいしね。
行けるとこまで行こう、止まる判断はまだ先にある、と思いました。
帰国する当人もまだ行けそうですね、という感じでした。
コロナコロナ言われるのが平気か不快かが帰国するか分かれ目だったような印象です。


ウガンダ、ウワンダと旅を続けている間も現地の方の反応は上記の感じが続きます。
感染者数は徐々に増えてきています。
入国時に日本人だけど直近2週間はアフリカ!感染国にはいないよ!というとOK。
町中で「コロナ!」と遠くから叫ばれることは徐々に増えてきました。
あんまり町歩きしたくないなぁ、という気分の時も徐々に増えました。
知人のトラベラーたちがアフリカ旅を中断し帰国しはじめました。
航空券の値段はかなりの値上がりが始まっていました。


そしてタンザニア入国、3月中旬でした。
ルワンダの首都キガリからバスでタンザニアのカハマという地方都市にたどり着きました。
翌々日にモシへ移動。
アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロの麓のわりとツーリスティックな都市です。
ここで、タンザニアでの初めての新型コロナウイルス感染者が確認されました。
私たちにとって滞在国=感染国となった瞬間でした。
感染者はヨーロッパ帰りのタンザニア人。
私たちがまさに滞在中のモシで感染が確認されました。

来たか。と思いました。
正直なところを言うと、思ったより速いぞ、と思いました。
あと2ヶ月くらいは大丈夫だと思っていた。甘かった。
現地在住の日本人たちは、日本よりまだタンザニアの方が安全だね、と言う感じ。
現地ローカルも同じく日本に帰るのは逆に危ないんじゃない?という意見が大半。
英語ができる人は
「健康管理をして過ごせば危険ではない」
「パニックをおこすべきでない」
とちゃんと状況を理解しているようでした。

感染が発表されて町は一変しました。
どの飲食店や商店の前にも手洗い用のタンクが置かれました。
住民はマスクやバンダナなどの布で口を覆うようになりました。
(まぁ防塵マスクとかの無意味な感じのやつが大半でしたが。。)
スーパーではアルコールジェルが販売され、結構売れていたようです。
うむ。初動めちゃ早いな。。。
手洗いの導入が徹底されたのはエボラなどの感染症の経験があるからかもしれないです。


さてどうしようかな。と悩んで決めたのはザンジバル島への移動。
ダルエスサラムという大きな都市への移動を挟むので不安はありましたが、
田舎の人が少ないところに行った方が良いね、という判断をしました。
ちなみにこの時点で帰国も考えました。
ですが滞在国=感染国となった以上は自分が感染を広げる要因になることは避けるべき。
ということで急いで航空券を押さえるようなことはしませんでした。

ただ感染者が出たことでタンザニアでは全ての教育機関が休校へ。
不要不急の移動は避けるよう政府から指示はありましたが、誰も聞いちゃおらん。
モシからダルエスサラムなどの他都市への大移動が始りました。
おかげでバスターミナルは大混雑、バスのチケットはソールドアウトで買えず。
結局電車でダルエスサラムに移動しました。
これはまたブログにもしますが遅延を繰り返し乗客も多いわで大変でした。
乗車中はずっとマスクをしていたけどちょっと不安でした。
乗車時に手のアルコール消毒が行われ、車両間の移動も禁止されました。
乗客のマスク率もかなり高かった。


ザンジバル島の雰囲気はまだのんびりしたものでした。
タンザニア国内ですがザンジバルは独立した自治区意識が強くイミグレがあります。
そこでは検温と健康状態の問診票記入が必要でした。
中国人か?日本をいつ出た?と少し警戒されている感はありましたが。

雨季(4、5月)が近づいているのもありましたが、
それ以上に新型コロナウイルスの感染拡大で観光客が激減しているようでした。
当の住人はマスクとかしてないけどね。
島の入り口にあたるストーンタウンでは、屋台が持ち帰りだけになったりと日々状況は変化していました。


結局私たちが長く滞在したのはパジェという東のビーチ沿いの町でした。
ストーンタウンより人の密集が少ない静かな観光地です。
一年を通して暑い場所、かつリゾート地なのは今回すごく良い環境でした。
窓ガラスも無い(虫除けの網戸だけ)、ドアも壁もない屋根だけの建物が大半。
どこにも密室がなくソーシャルディスタンスも十分に保てる環境でした。

徐々に航空会社の路線停止や南アフリカなどの他国のロックダウンが進む中、
ただ毎日ひたすら海で遊んだり、宿の犬猫と遊んだり、自炊して生活をしました。
到着直後に数人いたヨーロピアンたちはすぐに帰国していきました。
航空機のキャンセルや劇的な値上がりなどが彼らの話題の中心でした。


この時点で私たちも世界一周旅の中断なり終了を決めていました。
こりゃぁどうしようもないわ。と。
ただ日本では感染者が劇的に増え、緊急事態宣言がでるかどうか、という状態でもあったので
急ぎ大金を払ってキャンセルするか分からない飛行機をおさえることはしませんでした。
帰国指示の出たJICAスタッフや駐在日本人の情報を見る限り、
普段より回数の多いトランジットで2日がかりで帰るような人も多い。
航空会社や飛行機の路線もかなり混乱してたんですね。

・もしかして状況が好転して値段の高騰が落ち着くかもしれない。
・また大都市のダルエスサラムへ行って、密閉空間の飛行機に乗る方がリスキーでは?
・それでもし感染して家族にうつしてしまうことなんて出来ない。
こういう理由でビザの延長も検討しつつ様子見を決めました。

家族にはこの少し前からも心配の連絡が入っていました。
帰っておいでという友人もたくさんいました。
ただ帰国することのリスクをとることはできなかった。
もう「高齢者」に含まれる親や、高齢の義祖母を危険にさらすことはできません。


結果、パジェには1ヶ月半に渡る滞在となりました。
毎日「あぁ旅も終わるんだなあ」「最後のゆっくりする機会かなぁ」と思い過ごしました。
もう1年4ヶ月も旅をして満足感はそれなりにあるし、
旅をしていて挑戦したくなったたくさんのことがあるので、
このあと日本帰ったらゆっくりと日常に戻っていくんだろうか、とぼんやり考えていました。
一方でまだやめたくない、行きたいところがあるのに、という気持ちは大きかった。
せめて中南米だけでもいきなり状況が好転しないかな。。と思ってみたり。

パジェはすごく良いところです。
ほぼ全ての住民がムスリム(イスラム教徒)のザンジバル島は総じて親切な人が多いですが
ここでは観光客への慣れもあってあまり人目を気にすることなく過ごせました。
モシでの停滞でなくパジェを選んでいて本当によかったと思います。
モシやダルエスサラムではアジア人への当たりがキツくなった、という話も聞いたので。


さて、長くなってしまいました。
旅をしていてこういう状況でした、というのはこれくらい。
また別の投稿で帰国便決定と実際の帰国、入国がどうだったか書こうと思います。


  1. 2020/05/10(日) 11:35:41|
  2. 日本
  3. | コメント:0

【帰国】旅を振り返る


インドでに様子をアップしていますがここでちょっと話題がそれます。

昨日、5月8日に帰国しました。
成田に到着し、現在は東京都内で自主隔離中です。
帰国詳細については別途アップしますが、
とりあえずこの1年4ヶ月の旅を通して思ったことなどを。


旅のきっかけは、旦那との出会いでした。
共通の趣味である登山で知り合って話すようになるうちに、
彼が世界一周に出る予定である事を聞きました。


私は運動は好きだけどどちらかと言えば休日はインドア派。
というよりあまり社交的ではないし休日くらい自由にさせて、という感じ。
仕事で疲れていると言いつつ、いま思えばただの出不精。笑
あまり生活リズムや生活圏を変えたくないという思いもありました。

ただ、無類の本好きの私。
日本、アジア、ロシアなんかの近代史も大好き。
頭に空想として持つ印象的なシーンや都市がたくさんあります。
でも、文字やフレーズで記憶していて特に画像検索とかはしない。
文字から連想されるもので十分でした。

他のジャンルで好きな本は旅のエッセイ。
バックパッカーや、自転車やリアカーで世界を旅する猛者たちの話は
自分の足で行ったところ、出会った人や風景や文化ばかりでどれも面白い。
当時、友人の高校教師が教科書至上主義だったにも何か嫌だった。
こいつなんでこんな話してて面白味がないんや、、みたいな。
私にもまだまだ学生時代の知識記憶が残ってて全然新鮮味がなかったし、
それをさも学生に教えるかのように話されてもな、、と思ってました。
(友人じゃないんじゃね疑惑。笑)


そんな、
・出不精なのに頭でっかちになりたくなくて、
・頭のなかには膨らむ夢の場所がいっぱいある、
そんな状態の私。
旦那の話に食いつく

「え、どこ行くの???」
「どこが一番行きたい?」
「ルートは?西回り?東回り?」

まぁこの時、自分が一緒に行くなんてサラサラ思ってませんけどね。

付き合う前やしな。
近くに面白いやつおった!!的な。笑

それが気付けば一緒に行くことになり、
あれよあれよと退職して入籍して出発となりました。


なので、私のひとつの旅のテーマは
「私の頭に中の夢を自分で体験すること」
・ホーチミンに「私のサイゴン」を探しに行くこと。
・「アフリカの奇跡」と呼ばれるルワンダでマウンテンゴリラに会うこと。
・ユーラシアを横断して最西端のロカ岬に立つこと。
などなど。
自分が今までワクワクしながら読んだ場面や場所を追体験するのが楽しみでしょうがなかった。
正直、絶景とか割とどうでも良かった。


じゃぁ旅してみてどうだった?というと、
何より毎日が刺激的で楽しかった。もちろんしんどい時もあった。

毎日が追体験じゃないからね。笑
お互い行きたいところはあるし、ふたり共が行きたいところもある。
最初はそのすり合わせが私があまりうまくできなかったけど、
徐々にどういうスタイルで旅をするのか何となく決まってきて、
寄り道もたくさんしながらたくさんの景色と人と文化、宗教などに出会いました。

自分が追体験したいとことは感激したところもあるし、
あっこんなもんですかーあららーってところも。
逆に予想もしてなかった場面で感動したこともたくさんあったし、
やっぱアカンと思った!!てこともそれなりにあった。

まぁそんなもんよ。( ^ω^ )



でもでもやっぱり、
知識だけの頭でっかちでなく、自分で感じ体験するのが大事。
このことは旅をして変わりません。
むしろこれは旅に出る以前より痛切に感じています。

そして、
体験だけ、てのもダメ。
必ず知識とセットであること。

という事も強く感じました。

こんなことを書くと何でも知ってんのかお前と言われそうですが、
旅をしながらもそれなりに歴史や宗教については勉強しました。
kindleで何十冊も本を買って読んだし、場合によってはネットも使った。
現地に人と仲良くなったらいろいろ聞くこともできた。
確かに知識が十分でないところはたくさんあるよ。。
まだまだ知りたいことや山積みです。


でもね、
「もっと学生時代に海外に出ておけばよかった」
「若いうちにいろいろ見るのが良いよ!」
よく言われるこのフレーズたち、私あんまり肯定できない。
否定も出来ないけど。
何にも知らずに、〇〇は良かった! と終わってしまうのは勿体ない。

なので、私は30歳になってから旅に出てよかったと思っています。
体力的なしんどさは20代に比べてもちろんあるだろうけど、
今の私の知識や理解力で臨めて良かった、と思います。


この1年4ヶ月を振り返って、
私たちの旅は、
世界を理解することはできないけど、
世界の一部を知り感じることができた。


こう言えると思っています。

まぁでも、私たちが旅したのって、たかだか20か国程度なんですよ。
長く生活する様に滞在できた国はさらに少ない。
しかもこれまででまさかの1年以上かかってる。

世界って一体どれだけ広いんでしぃうね?
ネットが普及しようが人類未踏の地が無くなろうが、
世界はたったひとりの人間に私にとってあまりに大きいです。

でもこの旅を通して知ったこと感じたことは、
それによって理解できる事象が増えたことだと思います。
こういう時にこう感じる人がいる、この習慣文化がある人がいる。てね。

つまり、旅をして得たのは「知恵」です。

良くも悪くもそれをどう活かすか。
そもそもそれを活かすことが出来るのか。
私の人生はまだまだ試されてるね!しっかりやらなきゃね!




という振り返りでした。
まだまだまとめきれないけどどうにか出力したくて書いてみた。
帰国エピソードはまた別途ゆっくりアップしていきます!


  1. 2020/05/09(土) 07:53:36|
  2. 日本
  3. | コメント:0

プロフィール

nanako

Author:nanako
旅と登山が好き。
小麦・大麦・ライ麦・オーツ麦、蕎麦のアレルギー持ち。
2019/01/17より世界一周旅スタート!
備忘録用のブログですが、各国の食事やグルテンフリー情報をお伝えできたら。。

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