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小麦アレルギーだけど夫婦で世界一周旅中。PC閲覧推奨。

【帰国】新型コロナウイルス感染拡大と私たちの旅

忘れてしまう前に書いてしまおうと思います。
つい先日の政府チャーター便での帰国について。

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まず、なにより、
この帰国に際し尽力いただいた在タンザニア日本大使館の職員の皆様をはじめ、
全ての関係者の皆様に感謝いたします。
本当にありがとうございました。
そして医療従事者を含め日本の社会を支える全ての皆様にも。
私たちのいまの生活の全てが支えられています。
いつか皆が笑ってこれまで通りの生活が送れることを切に願っております。

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このポストでは、新型コロナウイルスの感染拡大と、
そのときの私たちの状況や感覚をざっとまとめておきます。


ウイルスが確認され問題になり始めた頃、私たちはアフリカ大陸に入っていました。
2020年1月。エジプト。
ルクソールなどの観光地では中国からと思われる観光客もまだまだたくさんいました。
大丈夫かいな、と思いつつ。

その後、スーダン→エチオピア→ケニア→ウガンダ→ルワンダ→タンザニア、と進むのですが
コロナの影響を初めて感じたのはスーダン入国時でした。
時期は2月に入ったばかりのころ。
アブシンベルからフェリー・トラック(ヒッチハイク)・バスでたどり着いたスーダン国境。
添乗員の指示に従ってバスを降りたところにはイミグレのスタッフが待っていました。
体温を測られ、私と旦那には健康状態の問診票の記入が求められました。
防護服も完璧でないし、問診票は明かに観光客の私たちだけ。
体温を測ったイミグレスタッフ以外にマスクや手袋をしている人はいませんでした。
いま思えば初動は早かったけど万全でなかったと思います。

スーダン国内を進むのはほとんど問題がありませんでした。
現地の人と話す感じ、新型コロナは問題とは認識されていましたが、
中国だけのものだと思っている感じでした。
(いま中国はプロブレムあるもんね!日本人?なら大丈夫だね!てきな)
マスクなどの対策はまったく見られず。


あ、これは問題が大きくなってきたな、と思ったのは首都のハルツーム。
バスで到着した私たちが町を歩いていると「コロナ!」と遠くから叫ばれました。
うーん。
ただ、ハルツームでは「チャイナ!」とも言われるので、
あいつアジア人やわというだけで声をかけられていた感は否めません。
(彼らの大半は悪意でなくフレンドリーさがそういう声かけに繋がっています。)
同時期に旅をしていた日本人ではハルツームから気になったという人が多かったです。


エチオピアに入国したのは2月中旬。
入国にあたり、検温と健康状態に関する問診票への記入が必要でした。
これはアジア人だけでなく全入国者が対象だったようです。
直近14日間に感染が確認された国に滞在しているか確認されました。
詳細はメモし忘れましたが欧州数カ国も対象になっていました。もちろん日本も。
中国人だけでなく日本人でも警戒され始めてました。
ただ、日本人だけど直近2週間はエジプト、スーダンにいたというと問題なし。
イミグレスタッフは特にマスクや手袋の着用なし。

エチオピアも、コロナはアジアの問題でしょという雰囲気。
ただ危機感というか嫌だという気持ちはあるようで、
私たちを見るとそっと離れたりとか、口を服で押さえるような行動が見られ始めました。
でも、中国人じゃないとわかるとじゃぁ大丈夫か~、という感じ。
うーん。


ケニアに入ったのは2月末。
テレビでは連日、ニュースの多くの時間が新型コロナについてでした。
ナイロビでは英語の新聞やニュースを見る機会がたくさんありましたが、
感染予防に手洗いうがいを推奨し、死亡率や年代についての情報もしっかりあった。
このニュースであればそんなに混乱することはないんじゃないか、というくらいしっかり。
事実、ナイロビ滞在中に現地の混乱や不安感は感じませんでした。
相変わらずマスクなどの着用はなし。

この時の私たちはどうだったろう。
新型コロナウイルスの感染はこのまま拡大していくだろうとは思っていましたが、
南アフリカに到着(5月のどこかかな)するまでは大丈夫だろ、とも思っていました。
アフリカの後に予定していたヨーロッパは厳しいかも。どうしようか。という感じ。

でも、アフリカを同じように進む日本人トラベラーの離脱が始まりました。
この頃、ジョージアで日本人の宿泊拒否が発生したりと広いエリアで強く影響が出始めていました。

知人が帰国するという話を聞いてどうしようかな、とは思いました。
ただ日本に帰るという選択肢は正直あまりこの時点では強くありませんでした。
日本に帰るより感染の広まっていないアフリカにいた方がいいしね。
行けるとこまで行こう、止まる判断はまだ先にある、と思いました。
帰国する当人もまだ行けそうですね、という感じでした。
コロナコロナ言われるのが平気か不快かが帰国するか分かれ目だったような印象です。


ウガンダ、ウワンダと旅を続けている間も現地の方の反応は上記の感じが続きます。
感染者数は徐々に増えてきています。
入国時に日本人だけど直近2週間はアフリカ!感染国にはいないよ!というとOK。
町中で「コロナ!」と遠くから叫ばれることは徐々に増えてきました。
あんまり町歩きしたくないなぁ、という気分の時も徐々に増えました。
知人のトラベラーたちがアフリカ旅を中断し帰国しはじめました。
航空券の値段はかなりの値上がりが始まっていました。


そしてタンザニア入国、3月中旬でした。
ルワンダの首都キガリからバスでタンザニアのカハマという地方都市にたどり着きました。
翌々日にモシへ移動。
アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロの麓のわりとツーリスティックな都市です。
ここで、タンザニアでの初めての新型コロナウイルス感染者が確認されました。
私たちにとって滞在国=感染国となった瞬間でした。
感染者はヨーロッパ帰りのタンザニア人。
私たちがまさに滞在中のモシで感染が確認されました。

来たか。と思いました。
正直なところを言うと、思ったより速いぞ、と思いました。
あと2ヶ月くらいは大丈夫だと思っていた。甘かった。
現地在住の日本人たちは、日本よりまだタンザニアの方が安全だね、と言う感じ。
現地ローカルも同じく日本に帰るのは逆に危ないんじゃない?という意見が大半。
英語ができる人は
「健康管理をして過ごせば危険ではない」
「パニックをおこすべきでない」
とちゃんと状況を理解しているようでした。

感染が発表されて町は一変しました。
どの飲食店や商店の前にも手洗い用のタンクが置かれました。
住民はマスクやバンダナなどの布で口を覆うようになりました。
(まぁ防塵マスクとかの無意味な感じのやつが大半でしたが。。)
スーパーではアルコールジェルが販売され、結構売れていたようです。
うむ。初動めちゃ早いな。。。
手洗いの導入が徹底されたのはエボラなどの感染症の経験があるからかもしれないです。


さてどうしようかな。と悩んで決めたのはザンジバル島への移動。
ダルエスサラムという大きな都市への移動を挟むので不安はありましたが、
田舎の人が少ないところに行った方が良いね、という判断をしました。
ちなみにこの時点で帰国も考えました。
ですが滞在国=感染国となった以上は自分が感染を広げる要因になることは避けるべき。
ということで急いで航空券を押さえるようなことはしませんでした。

ただ感染者が出たことでタンザニアでは全ての教育機関が休校へ。
不要不急の移動は避けるよう政府から指示はありましたが、誰も聞いちゃおらん。
モシからダルエスサラムなどの他都市への大移動が始りました。
おかげでバスターミナルは大混雑、バスのチケットはソールドアウトで買えず。
結局電車でダルエスサラムに移動しました。
これはまたブログにもしますが遅延を繰り返し乗客も多いわで大変でした。
乗車中はずっとマスクをしていたけどちょっと不安でした。
乗車時に手のアルコール消毒が行われ、車両間の移動も禁止されました。
乗客のマスク率もかなり高かった。


ザンジバル島の雰囲気はまだのんびりしたものでした。
タンザニア国内ですがザンジバルは独立した自治区意識が強くイミグレがあります。
そこでは検温と健康状態の問診票記入が必要でした。
中国人か?日本をいつ出た?と少し警戒されている感はありましたが。

雨季(4、5月)が近づいているのもありましたが、
それ以上に新型コロナウイルスの感染拡大で観光客が激減しているようでした。
当の住人はマスクとかしてないけどね。
島の入り口にあたるストーンタウンでは、屋台が持ち帰りだけになったりと日々状況は変化していました。


結局私たちが長く滞在したのはパジェという東のビーチ沿いの町でした。
ストーンタウンより人の密集が少ない静かな観光地です。
一年を通して暑い場所、かつリゾート地なのは今回すごく良い環境でした。
窓ガラスも無い(虫除けの網戸だけ)、ドアも壁もない屋根だけの建物が大半。
どこにも密室がなくソーシャルディスタンスも十分に保てる環境でした。

徐々に航空会社の路線停止や南アフリカなどの他国のロックダウンが進む中、
ただ毎日ひたすら海で遊んだり、宿の犬猫と遊んだり、自炊して生活をしました。
到着直後に数人いたヨーロピアンたちはすぐに帰国していきました。
航空機のキャンセルや劇的な値上がりなどが彼らの話題の中心でした。


この時点で私たちも世界一周旅の中断なり終了を決めていました。
こりゃぁどうしようもないわ。と。
ただ日本では感染者が劇的に増え、緊急事態宣言がでるかどうか、という状態でもあったので
急ぎ大金を払ってキャンセルするか分からない飛行機をおさえることはしませんでした。
帰国指示の出たJICAスタッフや駐在日本人の情報を見る限り、
普段より回数の多いトランジットで2日がかりで帰るような人も多い。
航空会社や飛行機の路線もかなり混乱してたんですね。

・もしかして状況が好転して値段の高騰が落ち着くかもしれない。
・また大都市のダルエスサラムへ行って、密閉空間の飛行機に乗る方がリスキーでは?
・それでもし感染して家族にうつしてしまうことなんて出来ない。
こういう理由でビザの延長も検討しつつ様子見を決めました。

家族にはこの少し前からも心配の連絡が入っていました。
帰っておいでという友人もたくさんいました。
ただ帰国することのリスクをとることはできなかった。
もう「高齢者」に含まれる親や、高齢の義祖母を危険にさらすことはできません。


結果、パジェには1ヶ月半に渡る滞在となりました。
毎日「あぁ旅も終わるんだなあ」「最後のゆっくりする機会かなぁ」と思い過ごしました。
もう1年4ヶ月も旅をして満足感はそれなりにあるし、
旅をしていて挑戦したくなったたくさんのことがあるので、
このあと日本帰ったらゆっくりと日常に戻っていくんだろうか、とぼんやり考えていました。
一方でまだやめたくない、行きたいところがあるのに、という気持ちは大きかった。
せめて中南米だけでもいきなり状況が好転しないかな。。と思ってみたり。

パジェはすごく良いところです。
ほぼ全ての住民がムスリム(イスラム教徒)のザンジバル島は総じて親切な人が多いですが
ここでは観光客への慣れもあってあまり人目を気にすることなく過ごせました。
モシでの停滞でなくパジェを選んでいて本当によかったと思います。
モシやダルエスサラムではアジア人への当たりがキツくなった、という話も聞いたので。


さて、長くなってしまいました。
旅をしていてこういう状況でした、というのはこれくらい。
また別の投稿で帰国便決定と実際の帰国、入国がどうだったか書こうと思います。


  1. 2020/05/10(日) 11:35:41|
  2. 日本
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Author:nanako
旅と登山が好き。
小麦・大麦・ライ麦・オーツ麦、蕎麦のアレルギー持ち。
2019/01/17より世界一周旅スタート!
備忘録用のブログですが、各国の食事やグルテンフリー情報をお伝えできたら。。

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