ベトナム最後の都市、ディエンビエンフー。
インドシナ戦争でベトナム独立軍とフランス軍との最激戦地となったこの街では、
観光の多くはその戦争遺跡や記念碑です。
まずは到着当日の夕方。
D1の丘にある勝利の記念像へ。

でっかい!

ディエンビエンフーの戦いでの勝利の50周年を記念して建てられたそう。
町の中心にある高台に位置していて、ベトナムにとっての大きな意味を感じます。
ディエンビエンフーは山と棚田に囲まれた平野にぽつんと現れた町でした。
どこからベトミン軍が大砲で攻撃してきたんだろう。。続いて滞在二日目。
A1の丘。

入ってすぐ、フランス軍とベトナム独立軍の戦車や武器の展示があります。


これだけ比較するとベトナム独立軍の兵器の弱々しさが。。
坂を登って激戦地跡。
朗らかな公園のような雰囲気でした。

ベトナム独立軍により破壊されたフランス軍の戦車。

塹壕跡。
深さは私の身長くらいはありました。

ベトナム独立軍が960tもの爆弾を爆発させた場所はクレーターのようになっています。

この奥を行くと塹壕跡に入れるようになっていました。

さらに奥まで続いているようです。
これは高さが私の身長160cmでギリギリ屈むか屈まないかくらい。

横に逸れるような感じでトンネルも掘られていました。
これは完全にしゃがまないと通れないくらいの高さ。

ベトナム戦争でもそうですが、縦横無尽にトンネルを掘っていたというのは本当なんですね。
絶対に空気はこもるし雨降った後はえらいこっちゃやしで、
ベトナム軍てまじクレイジーやな、、となりました。
(確かツチではトンネルに入れるツアーとかもありますね。)
A1を見学したあとはディエンビエンフーの戦い歴史博物館に行ったものの休館日。
ド・カストリーの総司令跡へ。



中はひんやりしていましたが雨季の高温多湿はフランス軍、辛かっただろうなあ。。
観光はこれくらい。
バックパッカー以外の日本人は歴史好きな人くらいしか来ないのかも。
ちょっとこれだけだと全然ブログ面白くないので小話をいくつか。
小話1つめ。
A1へ向かう道、朝は宝くじ売りのお母さんたちでいっぱいでした。
写真の手前も奥も数メートル感覚でずらっとパラソルが並んでいます。


見させてもらうと1枚は2000ドンとか5000ドンとか。
開封すると中に数字が書いてあって、それが当たり番号と一致するかで賞金があるようです。
日本の宝くじと同じで下一桁が一致するものから全桁一致するものまで。
最大賞金が8000000ドン、日本円で4万円。
ベトナムの物価を考えるとかなり夢のある額。
しかしタイもベトナムも、みんな床はゴミ箱です。
掃除を職業とする人がいるのかもしれないです。
小話2つめ。ご飯が美味しかった話。


むっちゃ食べさしですみません。。
地元のご飯屋さんでショーケースのおかずを指差し注文すると
ご飯(どんぶりに盛り盛り!)とスープ(これもどんぶりに盛り盛り!)とサーブしてくれます。
これが本当に美味しかった!
ライスペーパーで具を巻いて揚げた春巻や青菜でひき肉を包んだもの、
鶏の骨肉の煮込みや白身魚の揚げ焼きなど。
とくにスープが美味しくて、これをご飯にかけてお茶漬け風に食べます。
写真で2人分。むっちゃお腹いっぱい食べれます。
少しお高いけどハノイでフォー食べ飽きちゃって最近はこれがお気に入り。
と、小話2つでした。
これでベトナム縦断はおわり。
明日はいよいよラオスに入ります。
そのバスもおそらくマイクロバス、しかも11時間(*予定)。
しんどそうですがまた国境越えもあるのでおもしろそう(・∀・)
またブログ書きます!!
- 2019/02/09(土) 07:00:30|
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